ただ! 絶対! すべての福音! (14)
神は彼らに、この秘義が異邦人の間でどれほど栄光に満ちたものであるかを知らせようとされました。この秘義とは、あなたがたの内におられるキリスト、すなわち栄光の希望です。このキリストを、私たちは宣べ伝え、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。それは、すべての人を、キリストにある完全な者として立たせるためです。このために、私は労苦し、私の内に力強く働くキリストの力によって闘っているのです。(コロサイの信徒への手紙1:25~27)
教会の目的であり、宣教の目的であり、この地に存在する私たちが成し遂げようとするビジョンがある。それは私たちがイエス・キリストを宣べ伝え、すべての知恵で各人を教え、キリストの中で完全な者として立てることだ。
人を嵐と台風に巻き込むこの混雑した世界の中で、あちこち真似して覗き込んで、台風に押されて歴史の向こうに投げられる者ではなく、この台風と嵐の真ん中でも永遠に揺れない絶対真理を握って、ただキリスト が絶対とすべてになった者として立てる事だ。福音がすべてになり、生きておられるキリストがすべてになり、自分の思想と自分の知性と自分の感情と自分の意志、自分の人格すべてがキリストで結論を下した人、ただキリストだけが残った人として立つのだ。
パウロは、彼が経験したすべての人生の結論を十字架で結論を下し、ピリピ人への手紙第1章20-21節で、「私が切に願い、望んでいるのは、どんなことがあっても恥じることなく、これまでのように今も堂々と語って、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。」と述べている。それは、十字架の福音を通して、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることだから、私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのだ。 アーメン。 パウロの生涯についてイエス・キリストを除いては語ることはできないのだ。
聖なる召しと完全な主の祝福、完全な福音の中に私たちを招かれた主が私たちに与えてくださる最高の祝福は、キリストの中で完全な者で、キリストがすべてになった者になることだ。嵐の渦のような人生の中で神の聖なる救いの働きを成し遂げる主の身である教会、神の聖なる切り株、神の人々はただ、絶対、すべての信仰で、まさにこの福音に生命をかけた従順の人だ。こんな人々を通して、神はこの最後の歴史の救いを成し遂げるだろう。
栄華を極めたけど、主を決して捕まえず、彼を全部とは思えなかった者たち。派手な出発を悲劇的な終末で終わらせた人々サウル、サムソン、ガルトユダの例を忘れてはいけない。その代わりにぼろぼろの出発だったが、主がすべてになり、ただ神だけの人々、ダビデ、アブラハム、そしてパウロを通して主の国をこの地に成し遂げられた。その主が休まずに私たちをキリストの中で完全な者として立てられている。
絶対という言葉を一番嫌いなこの世代の真ん中で神のみを信じて、ただイエス・キリストの生命がすべてになった信仰で、今は自我の呪われた運命を終え、イエス・キリストの命で自身を喜んで主の前にささげ、従うことに決断しよう。
中間地帯はありえない。ただ、絶対とすべての対象が自分なのか、主なのかをはっきりと決断しなければならない。主がすべてにならないようにする自我の余地を断ち切って、ただ主を文字通り全部だと告白し、宣言し告白しよう。「私は真理の側に立ちます。私のすべてを主に任せます。私の未来も私の夢も私の若さも私の家庭も私のすべてのものすべて主に任せます。主よ、私のすべてになってください。」 (2018年8月) <終わり> [福音祈り新聞]
キム・ヨン
(巡回船教師、LOGミッション代表)
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