神の約束と誓い (12)
天地がひっくり返っても変えることのできない神の変わらぬ愛の確定、その決定は、私たちが神を裏切り反逆し、淫らな娼婦となって主の胸に釘を打ち、離れていったまさにその時に明らかにされた。その瞬間、私のために愛を決定し、私のためにご自分の御子を代わりに死なせて救いの道を確定されたとは、これ以上の愛の確定と美しさがどこにあるだろうか。これこそがキリスト教の愛である。粗い十字架がまさにキリスト教の福音である。
福音がなぜ私を変えられないのか。それは福音に力がないからではない。福音の対象である私たちが、一度も福音の前に全力で立ち向かったり集中したりせず、負担に感じれば逃げ出し、先延ばしにし、福音を避けてきたために何も起きないのである。主が血の代価を払って買われた私の命を福音の栄光の中で発見すれば、私たちは平凡に生きて死ぬことなどできない。死んだ信仰はあり得ない。韓国の教会は、この福音によって新しく生まれ変わることができる。
今、私たちは福音を福音らしく私たちの人生の中心に置き、この福音に全生命と存在をかけて、私たちを初めて福音の前に立たせたその日と同じ濃度で毎日を生きなければならない。私ではなく、私の中にキリストが生きておられるから、毎日を最後の日のようにキリストの命で生きることが永遠を生きる秘訣である。永遠の命を享受しながら、今日、この瞬間を生きるのだ。最も幸せであるべき日がまさに今である。
教会が新しくなる道は遠くにあるのではない。すでに私たちに与えられたこの福音で十分である。そして、その教会の変化は、私たちの中心を変える十字架の福音以外にない。十字架と復活の福音が私に実際のものとなるよう、私たちは主の前に立たなければならない。
神学的な同意を信仰だと言ってはならない。真理の前に真正面から命をかけてぶつかるなら、私たちの中に主の力と知恵が現れ、私たちを新しく生まれさせ、献身させてくださり、新しい命となった主が聖霊によって私たちをとらえ、イエスの命で生きるようにしてくださる。あなたがまだ救われていないのなら、十字架の福音によって新たに生まれることを願う。私のために成し遂げられた十字架の福音をすべてとして受け入れられるように、私たちみんなで祈ろう。福音の前で緩んでしまっているなら、もう一度主の前で決断し、宣言し、確定しよう。主よ、私の命となってください。私の主となり、私の愛となってください。主の前で再び後戻りできない信仰の決断を持って進むことができますように。真理が結論となるようにしてください。(2018年9月)<終わり> [福音祈祷新聞]
キム・ヨンイ | 巡回宣教師、LOGミッション代表。元巡回宣教団代表
<著作権者 ⓒ 私の手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞。出典を明記してご使用ください。> 情報提供およびお問い合わせ: gpnews@kakao.com