母の猛烈なお祈りと息子の絶望

Date

2017-06-26
▶ クリストファーの講演中、母が息子の刑務所で記録した祝福記録分を持っている姿 (出所: soareagles. blogspot ).

再びお家へ(2)

アメリカの中国人移民家庭で生まれて歯科大学院に行っていた一人の男が、同性愛と麻薬に落ちいて人生の極端まで味わってから主に出会って回復した。彼の後ろには息子によって自殺という決断を前にして、生きている主に出会った母のお祈りがあった。その話が載ってある’再びお家へ‘(デソン出版社、2017)を要約、紹介する。<編集者>

アンジラ、猛烈なお祈り

クリストファーが大学院で退学されそうだと聞かれた。何か月通えば卒業なのに衝撃的なお知らせだった。息子は学校にお願いしてくれるようにと私に言ってきた。しばらくして夫と私は学長に会って私たちの意思を伝えた。

“クリストファーが医者になることは大事なことではありません。私たちは息子が神様の弟子になることを願っております。妥当な処分が下りると信じます。”

次の年の夏。私たちは息子の家を訪問した。息子は去年のクリスマスにも帰ってこなかった。以前にも何回か約束を破っていた。彼は高級車に乗って空港に来た。息子の目下は黒くて体はやせていて、二時間ほどさまよってやっと自分のお家を見つけた。彼を見てとても不安だった。夫と私は日曜日にある教会に行って息子にも礼拝時間を教えてあげた。説教を聞くとどうか変化があるかもしれないと思ったからだ。

礼拝が始まってしばらくしてから息子が現れた。しかし次の日の朝、息子は私たちに家を出るように怒り出して叫んだ。惨めだった。聖書を息子に渡したが、息子はそれをゴミ箱に捨てた。しかし私たちは主の約束を信じて待った。私は断食をしながら主の哀れみを願った。

次の年の冬に刑務所から一通の電話がかかってきた。息子だった。私ははっきりとお祈りの中で代価を払うべきだと思っていた。しかしそれが麻薬とか刑務所になるとは想像つかなかった。苦しかったが、神様の応答であると確信した。神に初めての祝福を書いた。神様に感謝のお祈りをささげた。言葉では表現できないほどの平和が訪れた。

クリストファー、王様から奴隷へ

学校から追い出された私は全国のゲイのイベントを通して麻薬販売に集中した。私はゲイのコミュニティでは人気ある販売者だった。

ジョドンはゲイの映画系ではスターだった。私は彼と特別な関係だった。彼はHIV陽性判定を受けたと私に告白して、しばらくして貧しい人たちが行く公立病院に入院した。家族も、ゲイのお友達も彼から離れた。しかし両親は私と共に彼の病室を守ってくれた。彼とはその後別れた。

26回目の誕生日にデレクと共に新しい人生を始めた日、私はあるお友達の死を聞いた。デレクとの関係も順調ではなかった。二人で激しく喧嘩した日、彼もやはりHIV陽性者だと告白された。私は病気に伝染されたのかを心配する線を越えていた。

週末の夕方になると私のマンションには薬を買おうと人たちが来ていた。私たちはあっちこっちに薬を供給した。現金が入った。高級マンション、車、有名デザイナーの衣装、望むものは何でも手に入った。私は絶好調だった。ご両親がお家に訪れた。その時一緒に教会に行った。どうして私が行ったのかはわからないが、そこは天国にいくためのちょうどいいところだった。私は教会のトイレで薬を味わった。

6か月後に麻薬取締局の警察がマンションを急襲した。私は自分と関係が悪かったある麻薬販売者の名を提供して警察の保護観察をうけた。しかしお金も、売るためのものがなかった。噂が立つと人たちも私を避けた。絶望と憂鬱のせいで、安い麻薬に手を出していろんな人たちとも関係をもって今まで経験していなかったほどの堕落地へ落ちた。

私はもう王様ではなくて奴隷だった。その年の12月に刑務所に入れられた。毎週保護観察官に提出したおしっこから薬物が検出されたからだ。わざと他の人のおしっこを提出したことにも問題があった。その刑務所のごみ箱の上に置かれているものが目に入った。それは新約聖書だった。<続く> [GNPNEWS]

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