神様の本心は「愛」です。

Date

2024年12月26日

誰かを愛したことがありますか?愛することで、相手に自分の心を伝えたくてたまらなくなります。どれほど愛しているか、どれほど大切に思っているか、切なる思いを伝えたくて仕方がありません。そのため、愛する側が先に心を伝えようと必死になるのです。

しかし、人は本来そのようなものではありません。誰もが普通、深い心の内を簡単には明かしません。人格的な存在はその心を誰にでも気軽に開くことはせず、自ら喜んで開いて見せようとする時にだけ、その本心を知ることができるのです。

神様は私たちにその御心を明かしたくてたまらないのです。恵みによって私たちに与えられたものを、どうしても伝えたいと願っておられます。知ろうとする私たち以上に、知らせたいと願う主の思いの方が大きいということ、これが秘密です。

しかし、神様の御心は人間が推測したり考え込んだりしても知ることはできません。「人のことはその人の内にある霊以外に誰も知らない。同じように、神のことも神の霊以外には誰も知らないのです」(コリント人への第一の手紙 2:11)

神様はその深い御心を知っておられる聖霊を私たちに送って、神様の本心を知らせようとされました。霊が死んで神を自ら求めることができない私たちに、歴史のすべての時間を通して愛する預言者たちを送り、この世をこれほど愛しておられる御心と福音の深い秘密を涙ながらに何度も様々な形で伝え続けてくださいました。そしてついには言葉が肉体となり、私たちの間に住まわれ、触れて感じて見ることができるように、その御子を通して語られました。感動そのものです。

このように情熱的にその御心を語り、見せてくださろうとされた神様の御心が込められた言葉があります。「神はその一人子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである」(ヨハネの福音書 3:16)福音を与えられた神様の深い本心は、一言で言えば「愛」です。それゆえ、私たちは安心して自分自身を神様に委ね、福音の前に立つことができるのです。

【福音祈祷新聞】
福音を栄光に輝かせよ
(キム・ヨンイ. ギュジャン. 2017年)より抜粋

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