私の「原型」は「イエスの命」です

Date

2025年1月2日

書店に行くと、多くの自己啓発書が並んでいます。「不安を解消し、望む人生を生きよう!」「感情をコントロールし、潜在意識を目覚めさせよう!」と思い通りにならない自分をどう扱うかは、人間の関心事であり、重要なテーマでした。このように、世の中は「自我を強化せよ」「自我を成し遂げよ」と言います。一方、仏教ではこの自我を脱することを説きます。それでは、聖書は何と語っているのでしょうか?

すべての人は、命そのものに罪が入り込んだ「堕落した命」を持って生まれてきます。その上に、一生の間に見て、聞いて、経験し、学んだ「間違った自我認識」が加わり形成されるのが「病んだ自我」です。私たちはこの病んだ自我こそが「自分」だと信じ、それが傷つかないように慰め、哀れみ、執拗に愛し、磨き上げて生きています。しかし、これは私たちの原型ではありません。

生涯、自分だと思い込んで執着してきた病んだ自我が私の実体ではないとすれば、私の本当の実体は何なのでしょうか?その答えは、私たちを創られた主だけが知っています。なぜなら、私たち自身が自分をデザインしたわけではないからです。私たちを創造された神様が、一体どのような思いで、どんな目的で創られたのかを知ることで、私たちの本当の姿を知ることができます。その本当の原型を取り戻させてくださるものこそが「福音(良い知らせ)」です。

私たちを創られた創造主の本心は「愛」です。神様の完全な愛の頂点は、独り子を与えられた十字架の出来事において明らかになりました。十字架でイエス様は罪がないにもかかわらず、罪人のように吊るされて死なれました。それは、私が受けるべき刑罰を背負い、まさに「私になって」死なれたのです。そのとき、主と共に死んだのが、まさに私の病んだ自我なのです!

「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、私の内にキリストが生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)

罪ある病んだ自我である私は主と共に死に、イエス・キリストが私の命となられました!これが私たちの原型の命です。救いは、この真理を信じるときに享受できるものです。

[福音祈祷新聞より]

福音を栄光化せよ
(金容義.クジャン.2017より抜粋)

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