神様の愛を疑うのは一番危険な霊的な信号。

Date

2015年5月21日

re_113_6_1 low tem神様の特別な所有になった人達(1)

罪深いこの世で自分の欲に一生引きずられている人生が、天の希望、十字架の福音を捕まった。

そのように福音と運命を共にして神様の前で堂々と真理の通りに生きる一人一人は‘神様の特別な所有になった人達’である。彼らはイエスが血の代金として買った人達であり、神様の特別な心が注がれた人達であるのだ。

 “そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちの為に記憶の書がしるされた。(マラキ書3:16)”

霊的低体温症を警戒せよ!

私達の体の体温は36.5~37度を維持してから正常である。1度下がっても低体温症だと呼ぶ。5度下がったら死ぬほど危ない。霊的な生活にも低体温症のような症状が現れる。“不法がはびこるので、多くの人達の愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(マタイの福音書24:12-13)”文化と科学が発展して、ますます良い世の中になると言うが、聖書は“終わりの日には困難な時代がやってくる(テモテへの第二の手紙3:1)”と言われる。

低体温症が私達の体に致命的であるように、このような霊的な現象もまた致命的である。不法がはびこったら誰にも心を開けずに悪だけが残るのだ。怖い毒が私達の魂の中に染み込んで愛が冷たくなるのだ。

エペソ教会は使徒パウロが福音で頼もしく建てた、証のある教会だった。世を逆らって非真理と戦った教会だった。しかし、時間が経つにつれて霊的な低体温症にかかった。主が責めつけた。悔い改めなかったら燭台をその置かれた所から取り外してしまおうと。

旧約聖書の最後の預言者であるマラキもイスラエルに向かって戒めた。たとえ捕虜になってバビロンに連れて行かれて、歴史の中から消え去ったとしても、なくした神殿の栄光を忘れずに残された一筋の約束を捕まって帰還の道に入った彼らだった。それから神殿を建て直した。神様が注いで下さる祝福を期待したが、数十年が経っても状況は変わらなかった。相変わらず苦しくて辛かった。神様が約束した栄光が見えなくなって神様の愛に対して懐疑を抱くようになった。

 ‘神様が私達を愛するのか?’神様の愛を疑ったら霊的な低体温症が近づいてくる事も解らずに当たり前のことのように律法を無視する事になった。礼拝は形式として残ってあるが、霊的にはどうしようもなく崩れてしまった。マラキ預言者の警告はずばり彼らに向かった。

 “「私はあなたがたを愛している」と主は仰せらる。あなたがたは言う。「どのようにあなたがわたしたちを愛されたのですか?」と(マラキ書 1:2)

主に従う道は花道ではない!

あきれ返る事、思いもよらなかった事にあったり、仕事がうまく行かない時に神様の愛を疑ったりする。神様の愛に対した確信が揺れるのが最後の最高の危機であり、一番危険な霊的信号である。

信仰の理由一つで苦しい所に帰ってきて神殿を建てて、神様からの福を願ったユダヤ人。しかし、彼らは失敗だけの現実を見て神様の愛が何処にあるのかと反問するところまで到ったのだ。

主に従う道が花道だと主は話していない。誰でも主について行きたいと思うのなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うのだと言われた。<続く> [GNPNEWS]

 

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