“存在の絶望の終わりに十字架だけが私の力となった”

Date

2013年12月16日

私は江南のある町で生まれ育ち、7歳の頃から教会を通った。しかし、人生は無茶苦茶だった。小学校の時代、隣家の女子友達との淫乱な行為、中3の時友達と共に商店で財布を盗もうとして捕まえられ‘特殊窃盗罪’で刑務所に収監された。

この事件をきっかけに高校時代は不良な友達と付き合いながら、頻繁に家出と彷徨が続いた。

家出中にお父さんの召天の知らせを聞いて戻るが、既に最後の発引だった。10代から性関係を持ち始め、低いプライドと劣等意識、憤りと暴力で傷ついた高校時代を過ごした。

高校の2年を終わりに学校を辞退し、20代前半に付き合った姉妹が妊娠したことを知り、堕胎をさせた殺人者だった。

sまた、青年時代に学べなかった絶望感をお金で満たそうと体を壊れるほど仕事をしたマーモンの奴隷だった。

一時期事業は好調だった。お金をコントロール出来ない程に稼いだ。家と車と購入し、結婚をして妻にはお店を開いてあげた。雑草のような人生のターニングポイントを迎えるように見えるが、一日も喜びがなかった。

世の物を買い、持ったが心はいつも不安で恐ろしく、自分の弱さを人に隠すために、すれ違う人々といつも喧嘩を売って悪口をしたりしないと気がすまない罪人だった。

多くのお金を稼いだが、喜びはなかった

神様は新しい御業を起こした。事業破綻で莫大な借金を抱え、家族、友達、すべての人々との関係が絶えた。一日の間で私のすべてを失った。自己欲張りのせいで、滅びた現実を目の当たりにした自分は、むしろ‘どうして私がこうならねばならないのか’と神様を恨んだ。

いくら辛くても神様を求めなかった私は、徹底的に自我を追求した悪魔崇拝者だった。

その時神様はある開拓教会に導いてくださり、執り成し祈り時間を通して神様を人格敵に出会う恵みをくださった。いつも親がいない孤児のように過ごしてきた私に、胸いっぱい神様の愛が降り注がれた。

涙で夜をあかして、その愛で新しい人生が始まった。数日後、インドネシア‘ニアス’というしまに生まれて始めてアウトリーチへ参加した。

津波ですべてが消え去ってしまった島ニアスを復元する連合使役に参加した。3年間2ヶ月ずつ、または半月現地を行き来しながら教会と団体が連合してミッション・スクールの建築と愛の家を建てる働きに同参した。

3年後ミッション・スクール完工礼拝を終えて、韓国に戻った私は、妬みと憤りで教会を離れた。世から事業を失敗し挫折した時神様の恵みを経験したが、神様の恵みだけでは十分ではなかった。

私の人生を捧げて救済の働きをし、信徒たちの励ましと奉仕に喜んでいた。人々から認められ、よい評判で気が取られていた。私は宣教対象者だった。

ある開拓教会で神様に出会い

イエス様を信じているが、相変わらず捨てられた存在だった。このような現実を乗り越えるために再び努力した。礼拝、集会、徹夜、聖書勉強のために毎日教会に出席したが、何の変化もない罪の人生そのままだった。

ある日、遅い時間に退社をして帰宅したものの、妻と言い争い中憤った私は妻に暴力を振り、手術を受けることになった。最後まで妻だけは愛せると高ぶっていた私の善の自我の実存だった。

もう生きたくないと、愛する3人の子どもと妻、両親おいて自殺を図る程に絶望だった。生きれば生きる程罪を犯し続ける、ただ自分しか知らないゴキブリのような罪人だった。

しかし主は宣教訓練学校へ私を呼んだ。それから講義初日に心に響いたある聖句“神の心抱こう!”これまで私の人生に唯一なかったことがいわゆる“神の心”だった。

神様の栄光で生まれ、神様の所に帰る存在であることを知ってから喜びを隠せなかった。私の熱心に神様のために宣教、礼拝、救済するとしていたが、最も大切な“神の心”がなかった自分は何者でもなかった。

宣教の主体が神様であることを知り、喜びで自分を主に捧げた。‘喜びを超え栄光へ’という御言葉が私に一番の嬉しいお知らせとなった。

‘神の心を抱こう!’

その後、恵みにより十字架の福音の前に立つことが出来た。しかし、相変わらず解決されない罪の悪循環で悩んでいた。罪の実りを実らないように熱心に花を取っている自分の姿が見えた。

そして罪が行為で入るのではなく、命から入ったという事実を信じられた。私は希望がない!いくら努力しても洗えない紅のような私の罪、どのような方法でも自らは救われない存在的な罪人であることを知った。

生きてきた人生の中で罪の存在の絶望を通して、十字架へ呼んでくださった主の恵みを十分に悟った。

“生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。” ガラテヤの信徒への手紙 2章20節
この御言葉が私の実際の告白となった。

それからこの呪われた魂のために、惜しまず命を与えてくださった十字架の福音が今日を生きる神様の力となったことを信じる。主がなさいました。[GNPNEWS]
チョ・サンク 執事

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