“従順を決意した途端、神様の御心が注がれ始めた”

Date

2013年12月16日

休暇を迎え執り成し祈り学校から訓練を受けることになった。学校が行われた教会の説教講壇の裏側に‘神様の心を抱こう’というプラカードのフレーズには、宣教地を離れて休暇の期間に味わいたかった。

再びその地に入る時には、その天の父の心が注がれて、幸せな宣教師として生きたかった渇望があった。
面接の日は熱い心とドキドキ感があった。しかし、その期待はそう長くなかった。

“欠席はいけません。”授業に欠席するしかなかった状況を問い合わせた自分に対して学校長は明確に立場を明かした。

腹が立った。恵まれることに先約があると言っているのに、それ一つ理解してもらえない学校がどうやって神様を愛して神様の働きをする学校なのか?という葛藤が起き始めた。

天の父の御心はいつ注がれるだろう?待ち続けてもその時は来なかった。私が願っていることが決まる前にアウトリーチチームが決まった。心から海外のアウトリーチには行くまいと決定していた。

天の父の心はいつ注がれるだろう?

いつも自分の人生の主人公は自分だったのか、今振り返って見ると恥ずかしいばかりだ。私がアウトリーチに参加したくなければ行かない方が正しいと考えていた。

主の御心をよく分からなかった。主の学校はNoがないYesだけが存在する所だったアウトリーチ体制で学校が運営されながら、私の心には二つの国が激しく闘っていた。‘行かない’という自らが王である国。

従順しなさいという神様が王の国。その戦いが行われている自分の心は、世のどの国よりも激しい戦場だった。十字架の福音に出会ってから私の存在は変わったと思っていた。
しかし毎度自分が王になって収めている自分を見つけるまでは多くの時間がかかった。

激しい戦いの終わりに “聞き従うことはいけにえにまさり” という御言葉をくださったので従順の一歩を踏み出すことにした。驚いたことは、従うと決意した時からこれまで願っていた執り成しの祈りで天の父の心が注がれ始めた。

目からウロコだった。今まで何をしたのか?訓練を受けていたことは確かなのか?と反問せざるを得なかった。なぜなら、アウトリーチで従うと決意した以前と以降が線を引くことのようにはっきりと異なったからだ。

もっと驚いたことは1泊2日の合宿に行った時に、急に天の父の心が注がれ始めた。言葉で表現出来ないほど天の父の哀れみと愛が体中で感じられた。
そうやって永らく愛そうとし、許そうと努力し、3週間断食祈りも捧げたが・・・しかし私の努力とは関係なしに、この一生の間に縛られていた凶悪の縛り上げていたことを解こしてくださった。

天の父の御心が何ものかやっと分かったような気がする。私は希望の通り、一番幸せな人になった。なぜ執り成し祈り学校に送ったのかやっと理解できた。本当に感謝します。

天の父の愛と憐れみを感じて

もう一つの障害が現れた。財政をどうやって解決するかが分からなかった。
信仰で進むより行かない方法ばかり探していた。チームの集まりに出た御言葉、民数記のバラムとバラクのようだった。

アウトリーチには行かないと決意してから集まりに参加するものの、御言葉で祈っている最中には続けて従順することと、祈りの時にその地を祝福している自分自身が不思議でならなかった。

主は私のような無知な者の口からも祝福と宣言を言わせた。決定的にすべての国の祈りセンターから主は御声を聞かせてくださった。“君の香油を壊しなさい”“主よ、壊す香油がありません”と話すと、

“君自身が香油だ。私は君が欲しい。恋人よ、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。”とおっしゃった。
衝撃だった。主はなぜ自分にこのようにしながらも共に行こうと誘うのか?事実理解しがたかった。

今度も態度が決まったら、神様は不思議と財政を満たしてくださった。アウトリーチが始まった以来、私たちに入る献金すべてはアウトリーチ費用だと旦那に宣言した以降、全く予想しなかった方法で満たしてくださった。

これからのすべての戦いは信仰で勝利すると宣言し、天の父の心ですべての国を仕えると決断する。 [GNPNEWS]

金・インション(執り成し祈り学校)

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