バルカン半島、長い紛争と葛藤の歴史

Date

2013年12月16日

最近セルビアとコソボの関係正常化をきっかけに、バルカン半島に新しい春に兆しが起きている。

しかしこのような動きが敵着するための関門に至るまで、いろんな問題が多い。長い年月の間、深い反目の時間があったからである。

どんな事が彼らバルカン半島の人たちの心を、真っ二つにさせたのか。<編集者>

今日ユーゴスラビア(以下、ユーゴ)という名は世界地図でなくなった。‘ヨロップの火薬庫’として多く知られていたバルカン半島の、また違う名であるユーゴ連邦は、いまは数多くの独立国家になって、各新しい歴史を始めている。

分割された国家はおよそ7カ国に分けられて、その名は全部記憶できないほどである。セルビア、クロアティア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニアヘルチェゴビナ、マケドニア、コソボがユーゴスラビア(1945~1991)として呼ばれていたところである。

旧ユーゴ連邦という用語は、現在のマケドニアの国名だけ残っている。FYROM(Former Yugoslavia Republic Of Macedonia (旧ユーゴスラビア マケドニア共和国)がマケドニアの公式名称である。

去年(2012年)東ユロップの韓国人宣教師のための集会であったことである。参加した宣教師たちが各国ごとに集まる時間があった。しかし私を含めて三人の宣教師が、うろついていて一つの場に集まった。

国ごとに集まろうとしたら他の宣教師たちがいなかった。それで各一人が、その国の代表として集まって交わった。この三人が旧ユーゴ連邦に属した国だった。

このようにこの地域を見れるよい‘枠’が、‘旧ユーゴ連邦’という観点から解析されるのである。

旧ユーゴ連邦に属した各国の今日を、正しく理解して祈って行くには、過去にお互いに関係した彼らの事情を知らなくては接近できない。

旧ユーゴ連邦が解体する時、あるところの紛争はそこに限らず、他の地域、他の共和国へ広がった。この地域の国家はそのくらい緊密な関係が形成されていた。

逆に一つのところで解決に達すると、他のところでも広がれる環境があるとのことだ。それで全体的に旧ユーゴ連邦を見る視野がもっと大事である。

ユーゴスラビアという名は、20世紀初半この地域にあった三つの国(セルビア、クロアティア、スロベニア)が国名を変えた時から使われた。

その意味は、南を意味して、ユーゴとスラビアとの合成語で、‘南スラブ族の地’という意味である。

使徒バウルがヨロッパの伝道のために、ここを渡ったように、バルカン半島はヨロッパとアジアをつなぐ門である。マケドニア教会はその伝道旅行を通して残された痕跡である。

このような地政学要因によって、この地域は時代の強大国らが互いに主導権を主張して、数多くの戦争と分裂があった。

西ローマと東ローマの境界、旧ユーゴ連邦後、410年ローマ帝国が西と東で分けられる時、その境界が旧ユーゴ連邦地域の一部である。東西ローマは政治的分裂だけではなく、宗教的葛藤を経て、ローマカトリックと東方正教会として分けられた(1054年)。

半島の西側に位置したスロベニア、クロアティアは、ローマカトリック中心の西ローマへ、セルビア、ボスニアヘルチェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアは東方正教会中心の東ローマ(後に、ビアンティン帝国)へと分かれた。

その後、約500年間オスマン・トルク帝国が、この地域を占領して、アルバニアとボスニアヘルチェゴビナ地域をムスリム化して、セルビアの民族性を弱めさせるために、ムスリムのアルバニア人を強制移住させて、彼らをコソボに定着された。

この時、三つの国すなわち、アルバニア、ボスニアヘルチェゴビナ、セルビアがヨロッパのイスラム国家として残ったのである。

近代にはいって、19世紀末オスマン・トルクと戦争で勝ったロシアがバルカン半島を始めとして拡張しようと意図で、彼ら地域の国を独立させた。

この時までオスマン・トルクはまだマケドニアを治めていた。これに対してセルビア、ギリシア、ブルガリアは、バルカン半島同盟を結んで(1902年)、オスマン・トルクをバルカン半島から追い出すのに成功した。

しかしこの三つの国は、マケドニアの地を占領したオスマン・トルクと戦争(バルカン一次戦争)を起こした。

戦争が終わると、彼ら三つの国はマケドニアを置いて、第二戦争を起こして、結局この地の一部分を分けて占領した。このように人間の貪欲が、国境と主導権の戦いとして明確に現れた地域が、つまりバルカン半島である。

その後、1次、2次(1914、1939年)世界大戦の発火点になって、その時例外なく、強大国に占領された。

特に一次大戦の始発点であるボスニアヘルチェゴビナの首都、サライェボ事件を通して発生して、2次大戦の時、クロアティア人とセルビア人の両者間の人種掃除式の虐殺と報復が繰り返した。

両者大戦後に、結局ユーゴ連邦を結成(1945-1992年)したが、ティト死亡以来、弱まった共産社会主義と民族主義の流れで、結局スロベニアとクロアティアの独立宣言と共に、旧ユーゴ連邦は段々崩壊(19992年から)し始めて、2008年コソボ独立に至るまで、紛争と分裂が続いていた。

バルカン半島内の国家中でも、まだ分裂と紛争の火種を持ったところが、旧ユーゴ連邦に敷いてある。ボスニアヘルチェゴビナ、コソボ、マケドニアがつまりその国らである。

このように長い年月の間、バルカン半島は休まず、戦争と死と民族間葛藤と、紛争の歴史が続いていた。その背後にはオスマン・トルクとロシア勢力(ロシアーソ連ー現在のロシア)と、西ヨロッパ英国とフランスの介入(ロシア勢力をけん制)、そして伝統的にドイツの立場が強かった。

そこに彼らの間で、世界警察国家としてアメリカが力を行う形になった。このころは再びトルコが影響を与えようとしている。イスラムの政党が政権を握って、過去オスマン・トルク帝国の栄光を、どんな形でも再現しようとしている。

東方正教会、カトリック、イスラムが混在した地域、旧ユーゴ連邦地域は宗教的に大きく、東方正教会、ローマカトリック、イスラム教が互いに混合している状況である。

国家別にみると、スロベニア、クロアティアは主にローマカトリックであって、セルビア、モンテネグロ、マケドニアは東方正教会が強い。反面ボスニアヘルチェゴビナ、コソボはイスラム教が主である。

しかし各国家内にも地域別に、東方正教会と、ローマカトリック、イスラム教が別々に存在している。ここでも宗教はつまり私の民族のアイデンティティという公式がある。

それで私がセルビア人ならば、私は東方正教会人である。そしてアルバニア人であるとムスリムであるとの論理がある。

こんな状況でここは絶えない戦争で、多くの人たちが死んだ。分裂、戦争、死がこの地を治めてきたが、いつも旺盛に活動してきて、一回も折れたことがない。この地域で人間たちの血に飢えた群れのように王になっている。

しかしもっと詳しくみると、一般的な戦争の水準ではない。人種掃除、集団虐待などは勢力戦いの状況を超えて、非人間的で、反人倫的な犯罪水準である。

このようなことを刺激したのは民族主義である。自民族の優越を集団的に強調して、行動に移した。これは集団的な高慢である。

それで民族主義の名によって、そのような残酷な行動をとっているのである。民族主義は宗教も吸収した。それで宗教の名によって、他の民族を抹殺しようともする。

神が喜ぶとの名目まで言っている。まるで聖殿を浮かべて、彼らはお互いに殺して死んだ。

このすべての背後にはサタンがいる。高慢にさせる民族主義、民族主義とつなぐ宗教、宗教と力を集めた政治は結局、虐殺、人種掃除、分裂によって、この地を汚して、神様の形である人たちを残酷に壊した。<続く>

ハン・ザソン宣教師

[message_box title=”セルビアーコソボ 関係正常化、葛藤要素解決されるか” color=”red”]

▶イビチャ・ダシチ セルビア総理(左から)、ケソリン・エシュトン EU外交高位代表、ハシン・タチコソボ総理が、4月19日ベルギエのブルセルで協議に参加していた。セルビアとコソボはEUの仲裁で両側の正常化に暫定合議した。

‘ヨロッパの火薬庫’と呼ばれていたバルカン半島の長い葛藤要素であるセルビアとコソボ間、和解ムードになっている。

最近バルカン半島の核心紛争の要素中、一つであるセルビアと前セルビアの領土だったコソボが、関係正常化のための妥協がはじまった。

連合ニュースなどの外信によると、長い間葛藤の関係だったセルビア政府が、コソボと関係正常化合意のための暫定号議案を出し、EUへ通報した。EUへの加入を希望しているセルビアに対して、EUは地域の平和のためにコソボと関係を正常化するよう、条件を出していた。

つまりセルビア政府がコソボを認めたことで、解決に向けて地域平和のための安全灯がつけられたのである。

セルビア与野党は、両側の暫定合意案に対して、はっきりした反対を表明せず、コソボとセルビアの関係正常化は事実上なしとがれたと外信の分析である。

これにセルビア政府は、22日暫定合意案を認めて、こんな事実をEUに通報する一方、全部署に合意案の移行を準備するようにと指示した。

セルビア議会は、23日政府から合意案の内容を報告されて、関連順次を踏んで26日に討論を開いて、与野党の総務たちが合意したとセルビア国営のタンユグ通信が、ネボイサ・ステパノビチ議会の議長の発言を引用、報道した。

このような両側の合意によって、セルビアはEUの要求事項を聞いて、コソボの場合に今後EU加入の時、セルビアが反対しないことに協力関係を持つ外交的な約束をしている。

しかしこのような両側の合意に対しての對国民への説得作業がたやすくはない。特にコソボ北部地域のセルビア系住民は‘コソボ国民になりたくない’といって、強く反発している。

セルビア連立政府に参加する保守系列の‘セルビア進歩党’の総裁であるアレクサンドル・ブシチ副総理は、‘セルビア政府が国民投票をする準備がなってない’と明かしたと、バルカンニュース専門‘バルカン・インサイト’が26日(現地時間)報道した[/message_box]

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