この世と永遠中、一番大きな悲劇はどんな形でしょうか。それは人生が神様を離れたことより、もっと大きな悲劇はなく、教会が十字架の福音を失ったことより危機はないでしょう。
永遠の全能者であり、清い神様が、‘恐れないで、見よ!全ての民のための大きな喜びの知らせである(ルカ2:10-11)’といい、くださった福音が‘イェス・キリスト’であって、歴史上一番偉大な愛への招待、完全なる幸せへと呼びかけは、出すことも引くこともできない福音ではないでしょうか!
‘十字架で全部成し遂げて、復活で確証した永遠の真の福音’
この福音を信じる者は辱しめをうけない!アーメン! (ローマ書 10:11-12)
信仰の道を歩むために、命をかけても、信仰の主であり、完成してくださるキリストを得るために全てを捨てても、四方から艱難を受けても、迫害に会っても、倒れて滅びても、いつもイェスを殺したことを全身に負って、イェスのために死にかけられても、決して滅ばないで、行きつまらなく、捨てられないです。(コリントへの第二の手紙 4:7-11).
この福音を信じる者は、その大きな愛によって恵みとして義を得て、再び裁きと審判されません。イェスの中で命の聖霊の法が、罪と死の法から解放されるからです。(ローマ書 8:1-2).
この福音を信じる者は、復活の命に連合して、イェス様が彼の知恵と清さと義と贖いになってくださいます。(コリントへの第一の手紙 1:30).
この福音を信じる者は、聖霊の臨在によって、真理の中に行って、神様の善なる働きに熱心ある民になります。(ヨハネの福音書 16:13-14).
この福音を信じる者は、祝福の希望と私たちの大きな神様、救い主イェス・キリストの栄光が現れることを待っています。(テモテへの手紙2:13-14).
この福音を信じる者は、強権的に臨在する神様の愛で、この世に向けて進みます。暗闇の勢力が負われたこの地と、渇いた荒野のような魂たちに向けて、神様の憐れみと情熱として進み、彼らのために限界にいたるまでお祈りします。(コリントへの第二の手紙 5:13-15).
この福音を信じる者は、神様の一人の息子を送ってくださった愛のために、自分を自ら他人のために出せるようになります。(ヨハネの第一の手紙 3:16).
だからこの福音を失った教会こそ、全てを失ったのです。生きている名はあるが、実は死んであり、全てを所有して、豊かであるが、裸で憐れみで、多くの事業で忙しいが、ろうそくを移される危機に中にあるのです。(ヨハネの黙示録 2:1-3:22).
きて!私たちが神様へ帰ろう!(ホセア6:1)
再び福音の前へ、ただ福音へ!
失敗した働き者に、彷徨う罪人に帰る所があり、再び立ちあがる希望があることにどんなに安心でしょうか。
ヤコブにベテルが、裏切りの息子にお父さんの家が、私たちには十字架の福音があります。夜がどんなに深くても、帰れる道がどんなに遠くても、いま選択しないといけないです。
ただ福音へ!再び福音の前へ!全てを失っても再び福音の前に!ただ福音へ!暗闇をやぶる光へ、死を勝つ復活へと導かれます。ハレルヤ!
<巡回宣教団代表>
「その日が来るまで」から転載