約束の地に立てられた二つの石の記念碑は叫ぶ

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約束の地に二つの石の記念碑が立てられている。

一つ目は、ギルガルに立てられた勝利の記念碑であり、二番目はアゴルの谷に積んであるアイ城敗北の記念の石積みである。

0年前、12間者たちを通して報告された約束の地、ガナアンは入るのに決して不可能に見える所であり、ガナアンの7つの種族は、エジプトの奴隷だったイスラエルとしては相手にできない強い敵だった。

栄光の出エジプトの歴史で、大きな権能を現してくださって、雲と火のかしらで導いてくださって、いまも彼らの中で臨んでくださる神様が共にいてくださるのに、恐れているイスラエルに見えない神様の約束より、見える現実の敵がもっと実在であった。

その後、結局神様を裏切って背向いた出エジプト世代が、40年間さまよって、皆荒野で死んで、指導者モーセもなくなった後、荒野で生まれた世代がヨシュアと共に、再びガナアンに向かうヨルダン側に立った。

約束の地を征服することは、初の歩みから完全な信仰でないと、決して歩み出せない、ただ信仰の旅路であった。望めない中で、望んで信じる信仰である。

滔々と流れているヨルダン河。その前で不可能な‘私’ではなく、‘渡れ’と命じる、‘渡らせる’と約束する神様だけを見上げるだけが、可能にする道である。

神様の約束の箱を運んでいる祭司長たちが、民たちの前に立ってヨルダン河に入り、その中で堂々と立ってから、川が止まって、川の道に渇いた道が生じて、全ての民が渡るまで、ヨルダン河の奇跡に道は安全だった!渡れない川を、渇いた道のように渡らせる神様を経験させてくださった。

川の真ん中で祭司長が約束の箱を背負って立っていたその場に、石12個を選んで立って、川の底にいた12石をとってギルガルまで運んで、そこに記念碑として立てた。
…地の全ての民に、神様のみ手が強く望むのを知らせて、貴方が貴方たちの神様をいつも恐れさせるためである(ヨシュア 4:20-24)

ギルガルに立ったヨルダンの石の記念碑が叫ぶ!

福音を堅く握って、祈って渡るヨルダン河は、渇きの地の道(完全な道)であったと!裁きの川を越えて、神様に至る道は、ただヨルダン河に律法の箱を背負って、立った祭司長のように、審判と呪いの場、ガルボリの十字架で血を流した復活の神様が開いてくださった福音の道、ただ信仰の道であることを!
「おぼれて死ぬべきところを変えて、命の場になるようにする道であり、捨てられる罪人が義の子になって、栄光に至る道」忘れてはいけない。私がいま歩むこの道が、十字架の道が私の存在間ではない、ただ神様の命として歩む一番安全で完全なる道である!

もう一個の石積みであるアゴル谷の記念石

信仰でヨルダン河を渡って、ヨリゴを壊した勝利感の高い行進に、小さい城のアイ城戦闘の敗北は、思いもよらない、それでもっと落胆させた致命的な事件だった。

一体何が全能である神様の能力のみ手を防いで、彼の民を無力化させたのか。ヨルダン河が分かれて道が出来て、堅固なヨリゴ城が崩れる約束の道のりを揺らすことができるのか。

敵の強さも、イスラエルの無能でないこともはっきりした。現れたアイ城の敗北の原因は、アガンの貪欲のためだと明らかになった。エジプトのバロ王の権勢も、紅海のヨルダン河の波も、アマレックの狂気も、荒れた荒野の挑戦も、ガナアン族の抵抗も、彼らを害するとか防げないが、自我の貪欲に売られて清さを諦めたアガンを抱いたままでは、一歩も歩み出せなかった。

アゴル(苦しみ)の谷で、アガンと彼の貪欲を石で撃って除去した後で、やっとアイ城を占領できた。

福音の栄光を味わって、その能力で生きる信仰の旅路に、どんなことも防げない。しかし清さを諦めて、罪と情欲を抱いたまま、福音の能力は私たちと決して共になれない。

どんなに大きな信仰の勝利を経験して、確信の道を行くとしても、‘清さがなくては主を見上げない’苦しみの谷―アゴルに立てられた石積み。光と暗闇が共に出来ないし、神様と世を同時に愛せないと叫んでいる!

病んだ自我の痕跡を貪欲と共に抱いて、福音の栄光を感謝出来ないと叫んだ!

二つの石の記念碑が力強く立っていた。十字架が立っていた。

ハレルヤ! マラナタ![GNPNEWS]

キムヨンイ宣教師<巡回代表団 代表>
「その日が来るまで」から転載

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