全ての状況よりもっと大きな御恵みに感謝するバク・ギョンプム執事
聖書は‘お金を愛することは悪の根になる’と言っている。お金をあいすると、どんな悪い罪でも犯すとのことである。実状はお金を愛するよりも自分自身を愛する罪の根本、つまり貪欲に対しての警戒のみ言葉である。酷く貧しさに苦しんでいて、お金に希望をもって不安げに生きてきた人生から、十字架の福音を通して、人生と家庭において祝福の変化に感謝するバク・ギョンプム執事に会って話を聞いてみた。
– どこの出身ですか。
“ギョンブクの義城出身です。私が6歳の時、ギョンギ道ポチョン市ウンチョンにあるヘバン村へ引っ越ししました。山を開拓して畑を作って、炭を作り、売って設計を立てている火田民たちが住む所でした。”
– 豊かな生活ではなかったでしょう。
“とても貧しかったです。麦ご飯にヨモギのおかゆ、小麦粉のおかゆが主食でした。小学校の時、準備物を一回もちゃんと持っていたことがなかったです。学校でお友たちが脱いでおいた新しい靴を見て、ほしくて盗んだこともありました。中学校の時には先生に学費をもらってくるようにと、私をお家に帰したが、そのことが毎学期ありました。その時はお家には帰らないで、山で弁当を食べて再びお家へと帰りました。”
– その中で一番つらかった部分がありましたか。
“私が8人兄弟中6番目でしたが、兄弟間でも‘生存競争’で戦って育てられたので、ちゃんと愛されてなかったです。特に辛かったのはお母さんがやっと仕事で集めたお金を、むりやり奪って賭博で使ってしまうお父さんでした。そんなお父さんを見て、本当に結婚したくなかったです。男性に対しての尊敬心も当然なかったです。そしてただお金に執着していました。”
– どの程度までお金に執着しましたか。
“結婚も徹底的にお金が基準でした。お金がありそうで、いまの夫とお見合いをして一カ月もたたないうちに結婚しました。お金で全てを解決しようとしました。しかし結婚してみると、夫はお金持ちの人ではなかったです。自業自得です。”
貧しさでひたすらお金に執着
– 結婚生活が平凡ではなかったですか。
“始めてすこし集めた資金を持って大学校の前で食堂をしました。しかし当時学生たちがデモをたくさんして、商売が難しかったです。それで再び干し魚やさんを開いて、一年で倒産しました。夫ととてもたくさん喧嘩しました。私が幼い時から‘野生’で育てられました。見た目よりとても強気です。(笑).”
– お金を儲けるための戦いがあったと思いますが。。
“野菜と果物のお店を再び始めました。ある方が2年間朝の市場に一緒に行って野菜と果物の選び方を教えてくれました。夜明けにいってトラックいっぱい買ってきました。しかしある日買い物をしてお店に帰ってきたら、夫がお店を閉めていました。夜にお酒を飲んで朝寝坊をしたんですね。それを知った瞬間完全に気が狂いました。すぐお家にいって、寝ている夫に‘暴力’をふるった時もありました。しかしそれを子供が見ていたんです。そして会う人たちに‘ママがパパを叩いた’と言ったのです。恥ずかしいが、そのように完全にお金のために生きていました。”
– その以後はどのようになりましたか。
“4-5年を野菜と果物を売って韓国定食屋を始めましたが、それが大当たりでした。死んだ親が来ても挨拶もできないくらいお客さんが入ってきて、お金をたくさん儲けました。”
願ったくらいのお金が与えられても満足できず
– お金を手に入れた時、満足できましたか。
“満足できなかったです。心を満たせなかったですね。若い時から偶然職場のお友たちについて行った教会を通して、何かが見つかるかと思って、熱心を出したりもしました。しかしその渇きは本当の渇きではありませんでした。目的は神様ではなく、まだお金にありました。まだお金に希望をおいて、お金に渇いていたのです。”
– その後、お金に対しての欲望を下すきっかけがありましたか。
“お金がすこし入ると、子供を通して名誉をかぶりたいと思い、カナダへ移民をいきました。そこで二人の息子を勉強させようとしたんです。しかし移民生活が大変でした。周囲の人たちから無視されて、収入もなくてお金がぱっとなくなりました。”
– 移民生活が大変だったんですね。
“長男だけ残して韓国へ戻りました。移民に失敗したんですね。韓国で再び商売を始めましたが、以前ようではなかったです。赤字が出て、借金をするようになりました。長男の留学費用も高くて、借金がすぐ雪だるまのように増えていきました。利子だけでも大変でした。絶望でした。”
– その絶望が神様に帰るきっかけになりましたか。
“はい。そのように心が貧しい状態で、‘十字架と私’という説教を聞くようになって、そのみ言葉を通して、なぜ十字架でイェス様が死んで、私がなぜその方と共に死んで共に生きる信仰で連合しないといけないかを悟るようになりました。‘十字架だった!それで十字架だ!’ この秘密を知ったのです。”
十字架の福音を信じて恵みの福音に感謝する
– 福音に気付いた後の人生はどうですか。
“悟ってはいるが、まだ恵みが必要な人生でした。鉄の城みたいな自我が堅固に立っている時、いつも恵みが必要でした。私がどんなに罪人であるかを悟る恵みと、神様がそんな私のために十字架で死んだという事実を信仰として受け入れる恵みが必要でした。”
– もっと具体的にお願いします。
“十字架の福音の前に立っていますが、まだ私には現実の問題が大きかったです。福音だけで十分だと告白しても、一方では借金の問題で悩んで、夫が職場もなくてお家で休んでいる姿を見ると気持ち的に辛くなりました。.またそのように反応する自分にもっと絶望しました。それでこの状況より、もっと大きな恵みが必要でしたね。”
– 十字架の福音をもっと深く感謝できるきっかけがありましたか。
“夫が恵みをいただいて、去年9月に十字架の福音の前でたってからです。‘お酒をやめると何の甲斐で生きるか’と言っていた夫がお酒をやめました。その日の夕方から夫とふたりで礼拝をささげ始めました。実は以前にも家庭礼拝をささげた事がありましたが、礼拝の途中、喧嘩が絶えませんでした(笑)。そうだった私たちの家庭で本当に礼拝が回復したのです。”
– 家庭礼拝に対してもっと聞きたいです。
“二人で賛美して、黙想したみ言葉で祈ります。昨日も家庭礼拝を捧げましたが、夫が神様をもっと愛したいけど、それが思うほどできないと泣きました。私も泣きました。また以前はみ言葉を読んでも何のことか分からなくて、自分の思いのままに解析していましたが、いまはみ言葉がイェス・キリストとして読まれて、とても感謝で泣いて、いままでの信仰生活をちゃんとしてなかったことを悔い改めて泣いて、主に泣いています(笑)。”
– 夫婦関係が回復してとてもよかったですね。
“たまにこのように思います。いままで私のために夫がどんなに辛かっただろうか。私のような強い女と一緒に生きて、耐えってくれたことだけでもありがたい気持ちになりました。いまは本当に夫と福音の中で一つの気持ちですので、とてもうれしいです。憎む理由が全部なくなりました。最近では夫に‘全ての問題を神様に委ねて、神様が呼べば宣教地へ行きましょう’と話をしています。”
– 福音は貴方にどんな意味ですか。
“この世で作った借金を解決するにも不可能な私に、それとは比べられない私の罪の借金を神様が十字架で、私のために死んでくださったことで帳消しにしてくださった恵みの福音ですよ。福音の前に立てばたつほど、本当に私には善が一つもないことが分かります。考えで罪を犯して、口を開けば罪であります。それで恵みの福音を信じることがどんな幸せなのか知りません。状況は変わってないが、恵みが私を変えました。”
福音に栄光を捧げる伝道師として献身
– このころどのように過ごしていますか。
“借金を返すため、熱心に仕事をしています。そして許されるならば、神様が導く事をしたいです。最近では教会で伝道旅行を行ってきました。最初教会で伝道旅行を行くといったとき、心の中で不安が寄せてきました。初めての伝道旅行でした。福音を話さないといけないのに、何を言えばよいか全然分かりませんでした。思い出さなくて。。。この経験を通して私がどんなに福音を聞くだけで伝えてなかったのか、自分の実状に気付く機会でした。”
– これからの計画と祈祷タイトルをお願いします。
“いまはヨシュアのように神様だけを見上げて、従うことにしました。いまは財政的に解決しないといけない事が多くて、忙しく仕事をしています。しかし神様の福音に立って、その福音を伝える伝道師として人生も諦めません。私が主の体である聖殿であるので、教会が回復する呼びかけに、信仰をもって従順して、またそのように一歩ずつ歩みたいです。その全てのことを成し遂げる神様を信じます。”
J.S