御霊はイエス様の代りの方ではない。御霊はイエス様のすべてを今私達の人格的な体験の中で実際にして下さる。私たちが真似できない一つがある。それは御霊に満たされる状態だ。ある人の命の中に御霊が居られるなら、その人は自分の人間的な本能を葬られて、もはや自分のことを考えなくなる。御霊に導かれる時は欲に支配されない。
御霊が内在されるのは贖いの最高峰である。御霊が強く迫ることは意地の部分で一番強力に働く。詩的な説教とか自分好みの説教を聞く事は嬉しいけど、それだけでは充分じゃない。その理由は、説教を聞く前と変わらずに同じ生活をしているからだ。しかし福音はいつも私たちの心を刺して意志的な決断を要求する。“その通りにします”、“そうしません”など、どんな決定を下すにしても全部意地的な決断から出る。[福音祈祷新聞]
<弟子道(2012), オスワルドチャンバース>