創造物語(9)
本紙は創造論の専門家であるアメリカのケント ホヴィンド博士の創造論講義を要約、紹介する。ホヴィンド博士の講義は、聖書を中心にして神の創造世界を興味深く説明しながら、進化論が嘘の信仰体系であることを明快に明かしている。<編集者>
銀河系は宇宙の年が数十億年ではない証拠である。私たちは星の爆發を超新星また新星と呼ぶ。星は30年ごとに爆発する。もし、宇宙が数十億年だとしたら数十億個の超新星の残存が存在しなければならない。しかし、実際には300個未満の超新星の残存があるだけである。これは宇宙が何千年しかなってないことを証明している。
誰かは新しい星が出来続けているという。しかし、誰も星が生成するのを見たことがない。星たちは赤い星から白い星に変わる。教科書にはこの課程が数十億年がかかると書いてある。では、事実ではない。古代天文学者たちはシリウスは赤い星だといった。しかし、今は白くて小さい星になった。これは2000∼3000年ぶりに起きたことだ。
存在もしないオートの雲を毎年研究
月は地球の周りを廻る。月は地球を廻りながら少しずつ離れて行く。1年に約2インチ(約5cm)ずつ離れている。これは月が昔は地球ともっと近かったことを意味する。月を地球にもっと近くにしたら問題が起きる。月は潮の満ち干を起こすからだ。逆2乗の法則を当てて見たら、もし、月を今の距離の3分の1程近くしたら重力が9倍も強くなる。これを数学的に計算してみたら14億年前には月と地球がぴったり付いている結果が出る。ワールトブラウンは衛星の最大の寿命は12億年だという。もし月が地球の表面の真上で廻っていたら背が高い恐竜らにはどんなことがあっただろうか?月に当たっただろう。
彗星は宇宙の空間を巡りながら物質を無くし続ける。彗星の尻尾から何かが落ちて行くからだ。無くし続けたら何時かはすべてがなくなる。ほとんどの天文学者たちは彗星が万年以上にはならないという。そしたら地球の年が数十億年だとしたら、なぜ、まだ彗星が存在するのだろう?その論理通りなら今はすべてなければならない。
何年か前に私はあるゼミナールで太陽系の年が1万年未満という証拠が彗星だと言った。ある無神論者はそれに対して自分のウェブサイトで反駁した。“私達が彗星を見られる理由は新しい彗星が出来て、無くなった彗星を代替するからだと1950年‘ゼンオート’というオランダの科学者が彼の論文で明かした”彼らはそれを‘オートの彗星雲’と呼んでいる。
このオートの雲は5万AU(1AUは太陽から地球までの距離)も広がっている。本当に良い望遠鏡でなければ39AUしか離れてない冥王星も見れない。だから5万AUも離れている彗星は決して見れないだろう。誰もオートの雲を見たことがない。こんなことは数学的なエラーに根拠するだけでオートの雲は存在しない。
アメリカの天文学者であり外系生物学の先駆者だったカールセイガンも‘毎年オート雲に対する沢山の科学論文などにそれの性質、紀元、進化などについて書かれるがそれの存在を直接的に観察した証拠は一つもない’と語った。
進化論と聖書は相克
聖書は“天は神の栄光を物語り”(詩編19:1)という。面白いことは進化論は太陽と星が地球以前に進化したというが、聖書は神様が地球を太陽と月より先に創られたという。進化論のすべては聖書と正反対だ。聖書は人が死を持って来たというが進化論は死が人を持って来た主張している。そして、聖書は神様が人を創られたというが、進化論は人が神様を創造したという。進化論と聖書は相克だ。<続く>[福音祈祷新聞]