世間の数多い人たちが心から神を拒否して束縛から脱しようと叫んだ中世ルネサンスと啓蒙主義はユートピアを建設するかのように傲慢に騒いでた。しかし人類は今ぎっしりと積み上げた危機の火だるまの上に座っているようだ。
歴史中ずっと人は世の中を改革しようと努力をしてきた。ところがどんな努力も成功できなかった。世の中を改革するとしたら人が変わらなければならない。制度の変化ではできない。良い法でもできない。いくら良い法でも悪用する人の手に入る瞬間お互いに刺して、殺す。法より上にいる人が変わらなければ改革は遼遠である。どんな制度も革命も人間自体を変えることはできなかった。社会主義、共産主義がユートピアを建たせるとぶち上げたが自らにどんなに悪を自行したのか?!
世間の改革は人の変化で
結局、世間を変えようとしたら人を変化させなければならない。人を変化させる道があるだろうか?!存在的にアダムの呪いを受けた罪人を変える唯一な道は生きておられる神の御言葉にある。他の道はない。
偉大な創造主である神の御言葉は完全である。そしたら、神の御言葉に対する私たちの態度はどうあるべきか?“金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。あなたの僕はそれらのことを熟慮し、それらを守って大きな報いを受けます。(詩編19:11~12)金にまさるほど愛するべきである。
世の中はお金と所有に狂っている。‛成功’のアイコンであった スティーブ・ジョブズ。彼の生の最後は悲惨だった。人が皆羨ましがるほどの富と成功は死んでいく彼に何の役にも立たなかった。病んで横になっていた彼のベットの近くには愛した人たちと、彼たちの分かち合った思い出しか残っていなかった。
人の運命は神の御言葉に
栄光な神、全知全能で善い神が下さったのが御言葉であるなら私たちは当然、金より、蜜と蜂の巣の滴りより愛して取るべきである。神の御言葉はどんな所有よりも快楽よりも貴重なものである。私たちは希望する雄一なのは間違いなく金より貴重で、蜜より甘い神の御言葉をより知りたがって、所有したいのだ。
それから、主の僕が警告を受けるに聖書の御言葉にまさるのはない。御言葉は人生の一番安全なガイドになる。人生は地雷原である。不幸がどこで爆発するかわからない。こんな危ない人生を生きるのに私たちの運命をなににかけるべきだろうか?神の御言葉に従順すること以外安全な道があるだろうか?従順のこの道より完璧に保障された成功はない。“あなたの僕はそれらのことを熟慮し、それらを守って大きな報いを受けます。”<続く>[福音祈祷新聞]
キムヨンイ宣教師(巡回宣教師、LOG ミッション代表)