福音のために許された敗者復活戦

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契約更新 (5)

主は神の国を建たせるために主の御体になる有機的共同体である教会を許してくださった。特に、初代教会は、ダビデに神が共に居られてますます栄えたように神の純潔な軍隊のようだった。建物とか神学校、偉い組織もなくて世間に噛まれても、逃げられた場所ごとに福音が伝えられて、異邦人が主に帰って来た。世間の観点から見れば完全に滅びたように見えるが建物、資金、組織など何にも縛られてない初代教会の生命はどこにも染みて主の生気で充満させた。

信仰で享受できる救いの勝利。

主は’ひとえに信仰‘と言う真理を行為救いと権力、建物の殻に包まれたカトリックの中にいたルーサーを通じて再発見させられた。また、主は、私たちにも同じ原理を使用されてひとえに信仰、絶対信仰のところに導いてくださるのだろう。きっと、私たちの時代にその日の栄光を見せてくださるんだろう!

その栄光である福音を知りながらも問題と、悩みの前で活気をなくした、まるで、水に溺れていくべテロの姿が私たちにも現れている。福音を知っているが今なおこのように反応する私たちの姿は変な事だろう。しかし、御恵みの福音のために私たちには敗者復活戦がゆるされるのだ。昨日の失敗、数多い倒れにも必ず勝利する人生に私たちを導いてくださるのだ。徹底的に主の主権と能力で私たちを招待してくださった。

その主を絶対信頼する信仰でないと何も享受できないのだ。

真理の前にさらけ出された結論をつかんで主に出て行くのだ。しかし気の毒に救いは御恵みで受けるのを知りながら、受けた救いを享受する勝利の生活は御恵みで享受できることを見落として戦々恐々としたりする。自分の最善を尽くす所に戻る人々がどんなに多いのだろうか。救われるのは自分の最善、熱心、血統、良い行いなど何ににしても不可能な事である。

完全な神の御恵みだけで救われるように、イエスが神の子である事を信じるものではないと勝利する者はいない(ヨハネの第一の手紙5:4~5)絶対信仰を持って、ひとえに御恵みで受けた真理を通じて生きて行くすべての事に対してひたすら信仰で勝利を享受できることなのだ。

勝てるしかないイエスの生命

‘世に打ち勝つ!‘と言う事は信仰のために世に打ち勝つと言う意味である。これが神の御心であるからだ。
ヨハネの黙示録に登場された教会は各々危機に預かっていた。恵みの時代である今もサタンは絶えなく教会を攻撃している。教会は世間の影響を受けるしかない。エフェソ教会のように真理を守っているが愛をなくしたり、ある瞬間怠惰になったラオディギア教会の姿が現れたりする。

サタンの権座の下で揺れて、淫乱に落ちこぼれたり、イゼベルの攻撃と挑戦に立っている当時の教会と今の教会達に主はこう言われている。“勝利を得る者には!!”

私たちが当面しているすべての脅威と挑戦を主も存じて居られる。しかし、弱いために負けるとは言われていない。イエスキリストの勝てるしかない生命を下さったからだ。私たちの力で勝てるのではないのだ。“私イエスがこうだから、あなたも勝利せよ!私があなたの頭だからあなたは勝利せよ!”

すべての状況で主の御身体になった教会は知恵と能力の源であるひたすらイエスの名前を呼べば勝てるしかないことを胸にきざめよ!
<続く>[福音祈祷新聞]

キムヨンイ宣教師 (巡回宣教師. LOGミッション代表)

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