私たちはイエスキリストに値するものだ

Date

2018年4月26日

ダビデの王国が建つすべての過程は完璧に神の契約の成就である。資格のないダビデを呼んで王にさせた理由は、その事を成就させる方が神であって、また、そのお呼びに召された者として反応する資格がひたすら信仰だけであることに悟らせるためであった。神の時代を生きる私たちの招きもやはり完全に御恵みであるのだ。

資格も実力もない私たちを選ばれた民、王の系統を引く祭司、神の美しい徳を宣布する存在として呼ばれて懲らしめを受けない完全な神の子供にされることと約束された。これは、私たちの何にも成し遂げられない事であるのを確かに悟るべきである。

私たちは神に召された時からすでに100%不適格者だった。100%確実なのがあるとしたら私たちは確かに地獄の子であることだろう。神に完全に反逆罪人である私たちは神の充満を享受することは夢見る事すらできなかった。

私たちを愛されて、その血で私たちを罪から解放される事は完全に神の招きを根拠とする。(ヨハネの黙示録1:5~6)私たちがうけるにふさわしい呪いと審判と滅亡を息子の血の値を払って購った。一方的な御恵みで私たちを罪から解放されてくださった。

私たちの聖別も私に根拠があるのではない。主の完全な尊い血にある。私たちが御座の前に堂々と行けるのも私の弱い状態ではなく主の御働きのためであるのだ。私たちの功績になってくださったイエスの名前のために神は私たちを拒む事ができない。そんなわけで私たちの能力と関係なくイエスの名前で祈るのである。その名前で祈祷すればすでに受けてもらった事に信じられるのである。これが私たちが持っている確信であるのだ。(ヨハネの第一の手紙5:14~15)

だから私たちはすでに勝利した者である!幸せ者である!私たちの勝利がキリストの十字架と復活で保証されてあるからだ。状況が絶望であっても主を見ればよい。主がダビデを助けられたように、無能な私たちを助けられる神を見るべきである。主の聖なる国の為に主が私たちを助けられる約束の御言葉を見るべきである。(コリント人への第一の手紙1:24~29)

サウルの王国の変わりに建てられたダビデの王国は肉体によって主に従う者の水準では愚かに見えたかも知らない。しかし、だから、神の全能が明らかになった。

私たちが落胆する理由はなんだろう?私がどんな状況に置かれてもがっかりする必要はない。主は強くて、神の国は永遠である。その国に属された私たちはどんな事に対しても失望する必要がない。

御恵みの招きを受けた者たちよ!その国の復興と宣教完成の為に私たちを使われると言われた時、私の可能性、偉さ、愚かさなど何も見ないで、私たちを創造された主だけを見よう!十字架の福音に出会ってインマヌエルの祝福を受けた者の アイデンティティはひたすら‘イエスキリストの値’である。主が私の知恵と義、聖別、救いを完成された。この事実を信じれば必ず享受できる。 <続く> [福音祈祷新聞]

キムヨンイ宣教師 (巡回宣教師. LOGミッション代表)

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