ジェ族とチャミ村に向って商人達が歩いている姿(出処:vnexpress キャップチャ)
この連載は戦争が勃発する直前、ベトナムに入国したチャリー、エグロン宣教師夫婦が、戦争の中で福音の通路になった課程と、ベトナム主民達の状況を書いてある。大河ドラマのように広がるベトナムの宣教史を紹介した彼らの回顧録‘ベトナムに愛を込めて’ (To vietnam with Love)の内容を要約、紹介する。<編集者>
部族村に神様を伝える
私達はチャミ地域の行政官庁に、森の向こうと近隣地域の調査を許可することを要請した。ありがたいことに彼たちはジャングルをよく知っている防衛隊を同行させてくれた。私はジャングルの中のジェ(Jeh)族を調査するつもりだった。主民数とかその地域にどれ位の方言が使用しているのかなどを記録に残したかった。宣教部とは別に推進する始めての旅行で、心が弾んで寝られなかった。ダナンにいるカリフェルニア出身のデ-ル宣教師に頼んで一緒にチャン川に沿って北に向った。
私達は空も見えないほど密生しているジャングルに入って一夜を過ごした。次の日に防衛隊と分かれて何人かのジェ族に案内されてジャブイ(Xa Bui)村に入った。海抜1050メートルにあるこの村は、100メートルが越える長い家が一つに繋がって仕切っている、現代の長屋構造だった。部屋には長い野牛のしっぽがその地域の霊を慰めるための盛り物としてぶら下げていて、床には大きな火鉢が二つあった。
丘には霊に祭司を上げる野牛を吊るす高い棒があった。主民が集まって来たが部族語で会話が出来なくて早く言葉を習いたい気持ちが涌いてきた。彼らに私の心に満ち溢れているキリストのメッセージを伝えられない事が耐えられなかった。変わりに同行した管理人シュンが松明のそばで神様を伝えた。
私達は共産主義者の手に入ったと推定される孤立された村に入るために再び防衛隊と合流して、生まれて始めて深いジャンギルの中に入って行った。ヒルがうようよしていた。村で安全だと思って飲んでいた水もお腹をこわした。血便の為に初めて群れから取残された。その時に始まった疫痢はベトナムを離れる時までずっと私から離れなかった。
次の日、私達はジェ族村に入った。そこには約25名がいくつかの小さい家に住んでいた。その日の夜にもシュンが福音を伝えた。私はもう一度早く部族語を習う必要性を感じた。その日、ジェ族の二人と川を眺めに行った時に、驚く事で山の中で肩に長い銃を抱えている青年二人を見た。多分ベトゴンのようだった。
チャミでの生活と部族難民達
チャミでの時間は毎日新しくて珍しかった。涼しい夜には家族と一緒にチャミ村を散歩した。村の人達は皆好意的でで、嬉しがってくれて私達家族に対して好奇心がすごかった。息子のナダンを連れて行ったら、子供の周りに集まって来て笑ったり、抱いたり、抓んだりした。
近くにある教会の人の提案でベトナム村に入って伝道をした事がある。夕食の後、妻は 松明のそばに座って数百人の主民の前でアコーデオンを演奏してベトナム使役者が御言葉を語った。そんな時には、時間は私達に何の意味もなかった。その中の一部がイエスキリストを救世主として迎えた。しかし、二日目の夜、ベトゴン青年が村に侵入して銃撃戦で刺殺されたということを聞いた。
ジャングル旅行から帰ってくる時にはジェ族難民を受容したキャンプが見えた。彼らは家から離れて子供から老人まで家族皆が、時には子犬と全ての家畜を連れて市内の受容所に入って住んでいた。ある一人の人になぜここにいるのかと聞いたら、“ベトゴンがうちの村を燃やしました。”と言った。
ある日、夜遅く難民が来た。彼らを見たら哀れな気持ちになった。ある女の人は子供を産んでいる時に脱出して来たのか脹脛側にまだ赤黒い血がまみれていて、3,4人の女の人は生まれたばかりの赤ちゃんを抱いていた。私達は急いでおかゆを作ってあげた。
彼らの悲しい事情を見ながら哀れみ、痛み、怒りが混じった。同時に彼らが感じている共産主義者に対する恐さ、その裏に潜んでいる嘘の教え、暗い霊を感じた。彼らの中に神様の光が射して物質的にも霊的にも幸せな生活をするように祈祷した。
<続く> [GNPNEWS]