敵となっていた私達を、主の軍隊で呼んで下さった。

Date

2015-09-06

子よ、あなたの罪は赦された(2)

イエス様がサタンの誘惑を振り切られた後、ナザレに着いて会堂に入られた。主が聖書を開いて読まれた御言葉はイザヤ61章に宣布された内容だった。

“主の靈がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、壓迫されている人を自由にし、主の惠みの年を 告げるためである。(ルカによる福音書4:18~19)”

宣布された‘メシヤ’についた予言が成就される瞬間だった。“そこでイエスはこの聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたとき、実現した。と話し始められた。(ルカによる福音書4:21)”以降、どんな試練と排斥が待っている事かについて主は既に知られていた。でも、誰もが主を止める事は出来なかった。

主の順従で予言は成就されて、全ての恵みの扉が開かれた。誰もがその恵みを受ければ良い状況だった。しかしユダヤ人はその主を排斥した。

反面、恵みの機会すらなさそうだった異邦人達は、逆に神様の恵みを受けた。主は一人の異邦人も唯で通り過ぎるわけにはいかなかった。福音は、真心で受ける人には救いの能力である。信仰があって、謙遜な心霊には恵みの雨一粒あれば救いを得るには十分である。

だが、恵みの時が‘頭で全部わかっている’と思う人には危機の瞬間である。偽善者であって、自己愛に縛られている人には、ラクダが針の耳に入る事より難しい事が救いであるのだ。

人としては出来ないが、神様には出来ないことがない。主の目は、使える人を見るのではない。救いが必要な人として私達を見ておられる。

主の目標は明らかだった。“人の子が地上で罪を赦す權威を持っていることを知らせよう。(マルコによる福音書2:10)”暗闇の力に捕われて、細胞一つ一つまで罪に染み付いてサタンの奴隷になっている魂を変えて主を愛するように作る事。

どれほど時間が掛かることだろう。反逆する者を感動させて、結局は主のところに戻せる事はまたどんなに驚くべき事だろう!

魂が死んで反応出来なかった者に、真理の聖霊がその魂の中に居られて真理で生きるようにさせて、主を愛するようにさせて、罪を憎ませるために、主は自分自身を砕けられた。

信じるものは主のゆえに、もう神様の怒りの下ではなく、心霊の中に御出でになってくださった聖霊の導きによって真理の真ん中を歩いて行く。目が見えなかった私達の目が明るくなって、歩けなかった私達の霊は今や立って走りながら主を賛美する。

罪のせいで言葉にならない苦痛の中で生きていた私達は、もうこれ以上法の下ではなく恵みの下で生きる。罪がもう主張できない。この事を成り遂げられた主を褒め称える。

“私が、『主よ、あなたはどなたですか 』と申しますと、主は言われました。 『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また證人にするためである。わたしは、あなたをこの民と、異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を 開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち歸らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に惠みの分け前にあずかるようになるためである。』」(使徒行伝 26:15~18)”

パウロをしもべと証人にしてくださったように、主は私達を証人となる教会で呼んで下さった。滅びた肉体を治療してくださる事だけでも感謝する事なのに、主は私達が願う事もできない罪を赦す権威まで許して下さった。

証人になった私達のために、諸国は神様の原型に回復される。神様の敵になっていた私達を変えて、今は主の見方になって、主の仕事をする軍隊として呼んで下さったのは奇跡な事である。主は私達の順従を通じて御業をなさる。(2014.11メッセージ整理)
<続く> [GNPNEWS]

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