“韓国の証人を送ってください”…あるフィンランド牧師のお祈りの実

Date

2015年8月4日

信仰をもって従順の道を選んだ金ドンソン、ソン・ジュヨル宣教師

–宣教師の人生を始めるにあたって、どうふうに信仰生活を始めるようになりましたか。

ソン・ジュヨル;私は忠南のダンジンという地域で3代目イエス様を信じる家庭で育てられました。しかしイエス様は私の救い主だという告白ができないまま、教会だけ熱心に通っていました。親がスウェーデンの大使館で働いたので、幼い時から自然とその国に関して関心を持ちました。23歳に神様の導きによってスウェーデンに行きました。

そこで韓国人教会である兄弟との交際を通していままでの自分の信仰生活がイエス・キリストとは関係なかったことに気付きました。信仰生活とは何なのかと悩んでいた時、ローマ書10章9節の‘自分の口でイエスは主であると告白し・・・’、自分の心に信じれば救われるとのみ言葉を通してイエス様を自分の救い主として迎えました。その兄弟が今の夫です。

金ドンソン;私は妻とは違って、大学生になる前まで福音を聞いたことがなかったです。中学校の時中風を患っていたお父さんがどこから聞いたか、イエスが治療してくださると言って教会に通い始めました。しかし私たち7兄弟には強引ではなかったです。お母さんは黙々と祈るだけでした。

大学生になって毎日お友たちのお酒を飲んで遊んでいました。ある日も同じくお友たちと共にお酒を飲んで人生に対して話し合ってから遅い時間に寮に帰って寝ました。しかし朝起きると誰もいなかったです。そばに誰もいない空しさをはじめて感じました。その時いつも祈っているお母さんが思い出て、教会に行きました。

空しさで教会に出席

–すごいですね。その空しさで神様に行くようになったんですね。

金;礼拝をささげてみ言葉を聞きました。しかし心には感動がなかったです。礼拝後一人でご飯を食べていたら、一人のお友たちがうれしそうに挨拶しました。小児麻痺のお友たちでした。学校で勉強が一番できていて、いつも他の人たちを配慮する姿が印象的でした。そのお友たちと聖書勉強と弟子訓練過程に参加して、神様を段々分かるようになりました。

ある日、神様に自分のこれからの人生において聞きたかったです。‘神様の形で作られた人が、なぜ神様を対敵して離れるようになるのか’と悩みました。ローマ書を読んでその回答を見つけました。私が罪人であること、私のせいでイエス様がいらして十字架で死んで復活したこと、罪人である私がイエス様と共に死んでまたも生き返ったことを信じればよいことでした。

理解できましたが、このような事実が自分の内面で大きな葛藤を産みました。‘本当に信仰だけでいいのか、十字架で全部成し遂げたという話を信じるだけで神様と人格的関係が可能であるのか’と受け入れにくいものでした。全部は理解できなかったが、続けて黙想していくと私を救える道はイエス・キリストの十字架しかないことが自然と信じられるようになりました。信仰は主のプレゼントでした。

信仰は主からのプレゼント

–その後にどんな変化がありましたか。

金;今まで感じなかった人生の意味と喜びがあふれました。神様のみ言葉をもっと求めていて、イエス様のための人生を生きたいと祈りました。その時私に留学の夢をくださいました。そのために主に祈り続けました。1980年代に韓国はスウェーデンの電話交換システムを入れました。電気分野を勉強していた私は通信の勉強をもっとやりたくて、2年間仕事をしてからスウェーデンの王立工学大学に入りました。

–スウェーデンで主はどのように導いてくださいましたか。

金;スウェーデン語を学んでから専攻を勉強しました。同じグルップで勉強していた白人の一人に福音を伝えました。しかし驚くほどの事が起こりました。彼が私のために3年間祈ったとのことでした。フィランド出身の彼は牧師になって、ロシアで3年間昼には旅行ガイドで、夜には福音を伝えるために高麗人たちに会って来たんです。しかし彼らが福音を聞いて、自分たちは先祖たちから仏教人だったからイエス様を迎えることが出来ないと言いました。それで彼は韓国で福音を知っている証人がここにきて福音を伝えることができるように祈ってきたそうです。

当時ロシアと韓国は国家間交流がない状態でしたので、ロシアは考えるだけでも怖かったです。この負担感を振り落とすために祈りました。祈れば祈るほど神様の働きへの気持ちが注がれました。

フィンランド人のお祈り、‘韓国の証人を送ってください’

–その時、宣教の召命をいただきましたね。

金;はい。すぐスウェーデンの神学校へ入学しました。しかし既存の神学校とは違う所でした。教授中一人が同性愛者であって、昇天祈祷会もなかったです。人たちに共に昇天祈祷会を捧げるよう呼びかけました。一人か二人集まって共に一年間礼拝を捧げましたが、別に何の変化もなかったです。悩んでいる時、主は新しい道へと導いてくださいました。結婚と共にアメリカへの留学でした。

–妻の立場で宣教師としての呼びかけをどのように確信しましたか。

ソン;私たちの結婚は従順の結果だったと思います。信仰の道を歩んで福音に対しての自分の態度にも変化がありました。福音を大胆に宣布できるようになりました。その時から宣教に対していだくようになりました。その時から夫が故郷の家族から無視されるようになりました。2年間黙々と妥協しないで、主の導きにゆだねて信仰の道を歩む夫の姿に励まされて、宣教師としての人生を確信するようになりました。

–信仰をもって結婚した状況をもっと聞かせてください。

ソン;夫がスウェーデンに来て始めて通っていた教会が私も通っていた教会でした。自然と彼と知り合いになり、主のしもべになると決めていた彼の姿を見ました。この世と妥協しないで、主に従順する彼の姿が、私には新鮮な衝撃でした。

ある日急に主からみ心をいただいたといって、私に結婚を申し込んだのです。主はどんなみ心であるのか祈って見てほしいと言われました。驚きましたが、主を信頼して祈りました。しかし主から何も返事がなかったです。夫は私に来て、主からどんなご返事をいただいたのかと聞きました。ただ気持ちが平安ですと言ったら、それは主が下さったみ心であると言って、結婚しましょうと言われました。それで結婚しました。

数多い働きよりお祈りにもっと専念

–宣教師としての歩みを聞かせてください。

金;89年に韓国へ戻りましたが、韓国はロシアと国交が結ばれていなかったので、すぐロシアへ行けなかったです。知人の勧めである宣教訓練を始めました。10か月間の訓練を終えた、1990年7月4日。私たちの準備が終わるのを待っていたように、韓国とロシアの国交が結ばれました。

韓国とロシアの牧師たちが行き来して高麗人宣教のために協力すると約束してくれました。私たちは1991年2月、カザフスタンに行きました。韓国からの牧師が来たとうわさされて多くの人たちが集まりました。当時の教会状況はとても貧しかったです。ロシアの共産政権は自分たちの体制を維持するために、教会で自分たちの子供の血を吸っているとのうわさを広げました。それで教会は恐怖の対象でした。しかし私たちが訪問したことがきっかけになって多くの人たちが訪問しました。

ソン;4年間働いていて現地の指導者を養育したかったです。一人の青年が献身をして、彼を主の愛をもって養育しました。しかし信じていた彼が財政問題で諦める姿をみました。心が悲しくて空しい気持ちになってから、本当に大事なことが何であるかが分かりました。情熱ある指導者ではなく、神様に訓練された人格がもっと大事だと思いました。

–お二人の働きは信仰の弟子を立たせることでしたか。

金;はい。時間が経てばたつほど、主の働きは自分の力ではなく、主が導いてくださることだともっと鮮明に悟りました。3年間変わらない弟子たちをみて寂しい気持ちでしたが、主はその時私たちにお祈りを委ねました。数多い働きよりお祈りに専念しました。人間的欲求を除いて、昇天祈祷から徹夜祈祷まで捧げました。

そのようにして一年が経ちました。以前一度も経験していなかったことが起こりました。共に祈っていた4か所の教会で同時に悪霊が追い出されて、病気の人たちが治って、悔い改めの歴史が起きました。祈っていた人たちは聖霊様の働きを目の前にしました。

教会の復興と家族の回復

–主はまたどんな道へと導いてくださいましたか

金;まず私たちをU国へ導いてくださいました。U国は大体ムスリムでしたので、イエス様を信じる人はいなかったし、イエス様を迎えることは大変難しい状況でした。そのころJ兄弟に出会いました。その兄弟は私たちに宿舎を探してくれた人でした。彼に福音を伝えましたが、改宗すると自分の人生がどのようになるか分かっていたために、イエス様を信じることができなかったです。

その中、この青年が心を開けました。イエス様を迎えた兄弟たちの信仰を守るために共同体生活を始めました。彼と運命を共にした兄弟が共同体生活をして、毎晩彼らに福音を伝えました。福音を聞いた彼らは段々変わってきて、大胆に学校でも福音を伝え始めました。警告をもらったり、親に連れて行かれたりもしました。もっとひどい人は警察に捕まえて拷問をうけました。状況は難しくなって、私たちはK国へと移しました。

ソン;ロシア解体以後、この国は独立をしていて既存住んでいた多数の種族と民族間の衝突が起きました。それによって20万人の難民が生じました。

金;そこで信仰の道を選んだJ兄弟は後にロシアで住みました。それで私たちも彼に会うために2012年にロシアを訪問しました。Jと共にU国人たちがずっと礼拝をささげていました。主に感謝しました。Jは大変な時間を過ごしていました。人種差別と居住登録の問題、仕事をしているのに給料をちゃんともらえない時間を過ごしていて苦しんでいました。

その兄弟に対しての憐れみの心が注がれて彼のために祈っていた時、主は彼と共にいることを望んでいるとのみ心をいただいて、その年の12月からロシアに定着しました。主はJの心を慰めてくださいました。その後彼も神学に入学して牧師になりました。彼はいまU国へ戻ります。自分の民族の救いのために歩み出しました。

–最後にお祈りの課題がありますか。

金;多くの中央アジアの移住民たちはまだ福音を聞いていないです。ロシアの教会が彼らを愛の対象として思って、彼らに仕える教会が立つように祈ってください。そして福音が必要なU国の民族が主を信じることを願っています。[GNPNEWS]

S.Y.

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