金ヒョンギュ作 | 2013
アフリカ地域を巡回して宣教現場で仕えている夫が海外での働きを終えて、南アフリカのケイフタウンでまるで夢見る人に出会ったと感動を伝えた。彼がこの本の著者である金宣教師である。
“神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。(使徒の働き2:17)”
年をとると寝る時間が減るが、老人はどのような夢をみるのか。老人たちは一生自分を導いてくださった神様に対しての知識と経験をもって夢を見る。
この夢は一番合理的であり、理想的であって、主の願いが含まれた切実なお祈りである。それでこの本をもっと読みたがった。共に夢をみるために。
著者である金博士は教授宣教師として1976年から神学大学校で11年間教えて、ピリピン宣教師として10年、その後現在まで南アフリカで学生たちを教えている。
著者はたんたんと書いていて平凡な宣教師の話だと表現しているが、この本はみ言葉で主の導きに従順した一人の生生した証言として、韓国教会の50年とピリピン、アフリカの教会までを述べている。
その証言は数百か所の教会が立てられて、数万人を改宗した英雄的な宣教の話ではなかった。弱くて恥ずかしいが、一人の人の人生を通して現した主の歴史であり、イエス・キリストの命が表れた話である。そしていま韓国の教会が聞かないといけない美しい教会の栄光ある話である。
韓国、ピリピン、アフリカで会った神様
著者は幼い時からイエス様を信じていて、学校で先生の話を聞くように教会では牧師の話しを聞く程度の人だった。しかし信仰の歩みを始めて、み言葉をそのまま信じる証人たちに出会って人生が全部主のものであることを信じて、ついに十字架のキリストを迎えた。
始めての就任教会の話は地に記録された天の人生であった。貧しかった人たち、お腹が痛いほど飢えていても収穫した穀物の捧げ物を教会に持ってくる人たち、そして市場で夜遅くまで働いて遠い道を歩いて教会で祈って帰る人たちのお話・・・
キリストのための人生を生きていた1970年代の証人たちのお話が私の胸を熱くした。そして著者が経験した韓国教会の牧師たちも本当の師匠だった。韓国教会には若いイエス様が十字架で血を流していていつも主の民がいた。
死んでいく魂に対しての神様のみ心で始めたピリピンでの宣教は、彼の心霊をイエス様に奪われる素晴らしい時間だった。勿論働いた分くらい結果がない苦痛の時間もあった。しかし予想していなかった所で努力よりもっと多くの実をむすんだ。結果よりも主の働きに動員されたことに喜んで、毎日を誠実に生きていた。
そして神様は彼をアフリカの兄弟たちと共に謙遜の場へと導いてくださった。この20年間外国に住んで言語の生涯を経験したが、彼はふたたびアフリカのコサ語を学んだ。福音をもって彼らの心に至りたくていまも最後の授業だという覚悟でその地に立っている。
結局主の呼びかけに従順した一人を通して主は主の働きを成し遂げた。私たちが一歩でももっと主の前に進むと韓国の教会はそのくらいもっと改革されて、アフリカはもっと回復される。韓国教会の改革とアフリカの回復は主の国の復興と宣教完成へ連結していて、結局キリストの福音の栄光である。
“主がおっしゃるには(God speaks)”それで私たちはそのみ言葉を聞かないといけないし、老人はその夢をみている。[GNPNEWS]
ハン・ホヒョン宣教師