教会らしさとは何でしょうか? うちの教会が唯一行うセミナーがあります。キリストの体、教会セミナーです。セミナーをすると見えるものがあります。教会ではないものをつかまえて生きている私たちの姿です。教会ではないものをつかまえて生きながら、信頼の人であるかのように勘違いして生きていく私たちを見ることになります。
実は教会ではありませんでした。他のことをつかまえて教会のように生きる人生を振り返らなければなりません。教会が進むべき道を当然行くのが教会らしいことです。教会は方向性が明らかです。その道はとても鮮明です。教会はキリストの身なので頭はイエス様です。だから教会はイエスに従うのです。それではイエス様はどんな道を行かれましたか?その方向を鮮明に話すことができますか? 東西南北、そのような方向を申し上げるのではありません。
イエス様は天からこの地にいらっしゃいました。公的な生活を送りました。奇跡と能力を施し、神の国を宣布します。生き方、生きる方向を教えてくれます。そのように歩いて行けと私たちの心と体と魂を直して下さいます。宣布して教え、治癒しました。そしてイエス様はあなたに従う人々の心を買って十字架で死にました。そして復活しました。40日間その方の夢とビジョンと方向を見せてくださって天に昇天されました。そして今イエスは天の御座にいます。
イエス様の方向ははっきりしていました。この地に来て公的な生活を送って天の御座に行かれました。教会もイエス様についていけば結局「世間の外に」行きます。教会らしいということは、出エジプトするように出世間することです。ところが、多くの人が教会らしさを教会らしさと知らず、教会の中で何かを成し遂げることを祝福だと考え、ある成果を主が働くものと考えます。
教会が復興しても出世間に行かなければ教会ではありません。お互いに集まって喜び、愛し、心を与え、力を与えて慰めあうとしても、その方向が世間の外に行くのでなければ教会ではありません。
人はエデンから追い出されました。喜びから追い出されました。エデンの外では満足感がありません。お金があれば、子供が出世すれば、元気で認めてもらえれば幸せでしょうか? まだそれが来ていないし、それが成ってないから満足感がないのでしょうか? 違います。エデンの外に追い出されたので満足感がないのです。
それなら神様に戻って、神様がいらっしゃらなくて喜びを見つけられなかったと言わなければなりませんが、人間は神様の前で見よがしにお金で、子供で、状況と条件で喜びようとします。聖書はそれを罪と言います。世の中に入って世の中で喜ぶのではなく、世の中から脱出して神様の生命、神様の御座に行かせるのが教会らしいのです。教会になったということはイエス様について世の中の外に行くということです。
教会がそのような愚を犯してはいけません。私が30年牧会の半分くらいは騙されて生きてきたようです。サイクルが間違ったので、一生懸命純潔に主を見つめたのですが、正確な方向ではないので、時間が経つにつれて大きな差が出ることがわかりました。
私は交友たちを慰めてあげたかったです。世の中でとても苦労して礼拝堂に来て主を眺めようとする姿を見て慰めてあげたかったです。心から慰めてあげたかったです。新しい力を出してあげたかったです。
ところが神様はそんな私に不法を行う者とおっしゃいました。神様の怒りでした。神様は私のことを知らないとおっしゃいました。多くの校友は慰められたがっていました。落胆してたまらないと言いました。それで私は慰め、新しい力を与えました。そして交友たちは世の中に行ってまた熱心に暮します。どうやって一生懸命生きていますか? 昔の価値でまた一生懸命生きていきます。
実は教会らしさは世の中で生きるのではなく世の中の外に行くことなのに、私は交友たちを再び昔の価値で生きるようにしました。「努力して何かを満たしてできるのではない、神様でなければならないのだ。」神様から受けた教えでしたが、私が再び世の中に座り込んだのです。新しい力を得て癒されてとても嬉しいと言いながら、また明るい顔で世の中に駆けつけます。そして昔の価値で生き返ります。その構造が見えますか? その構造が壊されなければなりません。
教会らしさ! どんな道か! 方向はとてもはっきりしています。出世間です。主がこの地に来て出世間するように言いました。私たちがエデンの外で、喜びの模造品、代替された喜びを探そうとさまよっているので、ご自分が自らこの地に来て十字架で道を開いたのです。十字架を通してこの世から脱出しろ!天のお父さんを見ろ! 十字架がここにあるって! その道が教会の道であり、教会らしさの道であり、私たちらしさの道だとおっしゃっています。 [福音祈祷新聞]
イアチム牧師 | 神様が見るに本当に良かった教会の担任。 次の世代のためにトブ円形学校を運営しており、聖徒たちが人生で信頼の実際を経験できるよう養育している。 著書として「主が焚くままに」(トーブ円形出版社、2020)、「はい、主よ、私が従順の専門家です」(トーブ円形出版社、2019)などがある。
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