キリストの中で完全な教会(9)
十字架の福音に出会った聖徒には必ず変化が起きる。その一つ目は、自分の主人が変わることだ。自分の人生の主がイエス·キリストに変わったのか? もし、イエス·キリストの十字架復活の福音が生まれ変わった新しい生命を与え、自分ではなくイエス·キリストが主人になって生きていけば、非常に明確な変化が起きる。
「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ローマの信徒への手紙14:7~9)
十字架福音に会って生まれ変わった主を信じる聖徒なら、誰でも生きても主のために死んでも主のために死ぬのだから、生きるか死ぬかただ主のものになる。
これは改良された社会を語るほどではない。改善された罪人のことでもない。この地に神の国が臨むのだ。神の治める、神の天国が臨んだ神様の心になるのだ。教会はここから一歩も退いてはいけない。このを目標を変えたら堕落して変質することになる。
主は自分の主が変わらなければ主についていけないと言う。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ヌック9:23)
二つ目は心の中心に神様を離れ、神様と仇になった私たちの中心が変わることだ。私たちの古い人の特徴は「ただ自分、自我愛、病んだ自己愛」だ。 これは自己をひどく愛し、自分を憐憫に思い、うつ病や自殺衝動に陥れる。
また、人々の認定、評判に戦々恐々として、それから抜け出せないまま生きていく。これは精神的に病んだ自己の状態であり、結局は自我崇拝につながる。この病んだ自我を解決してくれたのが、まさに十字架の福音だ。したがって、最も人を変える核心は、この病んだ自我を死と処理した十字架福音だけだ。
最後に愛するの対象が変わらなければならない。愛のエネルギーは素晴らしい。愛すればどんなにしんどくても疲れを感じない。 愛すればその対象と同一視する。福音で生まれ変わった者は自分の罪が何なのか、神様の愛が何なのかを知り、二度と罪に自分を渡さなくなる。また、自分自身を主に捧げて愛する対象が「私」から「イエス様」に変わることになる。
「主を愛さない者は、呪われよ」(コリントの信徒への手紙一16:22)
愛する対象が主に変わった者は、イエスの生命となって自分の変化を経験するようになり、真理以外のものを愛しなくなる。 これが回復したキリスト教徒の姿だ。本来、私たちの魂と本性は、真理の中で本当の自由を享受し、真理の中で行うものだ。 (2018年7月) <続く> [福音祈祷新聞]
キム·ヨンウィ宣教師(巡回宣教師)。 LOGミッション代表)
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