必ず享受すべき恵みの福音(4)
献身の二つ目の意味は‛ひたすら神様の側に立つ’という意味である。今確かに主を選択しなければならない。心の余地を残さない。単純でひたすら主を掴まえろ。神様の御前で従順出来ないという自由意志は反撃に過ぎない。聖なる神様に従順する他に道はない。あなたが信じている神様はどんな方であろうか。軍隊の上官よりも劣る方に扱っているのではないか。子供らしい従順で神様をもてなしているのか? そしたら、自分のものだと思うすべての所有権も主にを渡すことが当たり前のことである。財布、通帳の持ち主は私ではなく私の内におられるイエスキリストであるべきだ。
この事実を認めないところがまさに私たちが生きている世の中だ。この地は生きたいけにえとして生きている者が決して見習ってはいけない、毎瞬間分別するべき所である。(ローマ12:2)なぜなら、世間の価値というのは私たちの肉体的なエゴと、古い自分の性向と密接に立ち向かっているからである。この将来滅ぼす城から抜け出さなければならないのだ。べたつく古い情け、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢がそそのかす度に、言い訳をせずに‘見習うな’という真理を結論とする態度を取るのだ。自己愛に狂っているこの世間で大胆に‘自分が死んだ十字架’だけを誇るのだ(ガラテヤ6:13)
主が自分の命をかけて完全に死に渡された古い自分のすべてを塵あくと見なすことが出来ない態度が福音を享受できない一番大きい害悪であることを心に刻もう。天下の敵のようにこの世代と罪、そして古い自分の性向に立ち向かえよ。常に善良で完全な神様の御心を選択する者は真理を享受することができる。 毎瞬間、聖霊に従って行うと、肉体の欲が叶うことが出来ないのだ。
私たちの献身を通じて主が成し遂げられたい事は一体、つまり宇宙的な体になった教会を実現することだ(ロム12:3~5)。頭になったキリストに従って自己を否定する人生を生きる者が集まって自己主権を放棄し、ひたすら信仰だけで反応する教会を神は”一体”だとおっしゃる。手と足の機能が異なるが、一つの体の中にあるように、世界の各教会の肢体が集まって一つになる。 そしてキリストにまで育つ(エペソ4:10~16)。 この連合が大きな秘密(エペソ5:29)だと聖書は言う。 一番大きい秘密と神秘は神様と全く無関係だった私たちを自分の息子キリストと一つになるようにされたことであり、その福音の栄光によって私たちは生けるいけにえとして献身、すなわち私のできないということを超えて私の内におられる神様が自ら私を通じて働く生を神様の中で思いきり享受する。
私としては不可能なすべてのことで神は私を通じて働き、結局このすべての献身を通じて神は各人をキリストの中で完全なものに立たせることを成し遂げてみせるだろう。完全に献身する者だけがキリストの宇宙的神秘を完全に享受することになるだろう。
だから覚えろ。我は死んでも主のものだ。私たちの小さな従順を通じて不可能を成して行く全能の神様が今も多様な事件を通じて言葉の成就を見せてくださっている。
それ故に献身せよ。 恐れずに献身せよ。 止まることなく献身せよ。 今、献身せよ。 あなたに捧げる最高の祝福の勧めは、”神に献身せよ。”ということだ。 あなたの体を神様が喜ぶ聖なる生けるいけにえとして大胆に奉げなさい! [福音祈祷新聞]
キムヨンイ宣教師
(巡回宣教師、LOGミッション代表)