必ず享受すべき恵みの福音(2)
御恵みの川が乾いたところを荒しながら通っていく時に元の水の流れにはなかったけど増えた水の恵みを受けたところを泥海と干潟という。(エスゲル47章)氾濫された水が元の所に戻ったらそこは中東の熱い日差しで水気が乾いて死の沼になってしまう。
福音に会って刺戟を受けたけど本気で参加しないで、反って福音の知識を武器にして人を批判して判断する生き方がこのようなことと同じだと言える。当然、生水が流れる惠の海の中に浸るべきである。エスゲルの聖殿の幻で主が知らされたかった内容は、呪われて希望を失くしたイスラエルを再び回復させる福音がイスラエルを貫通して諸国の所所に到るまで影響を及ぼすことである。その福音の詳しい内容がローマ人への手紙1~11章に具体的に書いてある。
被造物としては図り切れない神様の知恵と知識を賛美(ローマ人11:33~36)するパウロは、啓示された神様の福音を信じる信仰だけが自分に毎日絶望を直面する信者が義とされる唯一な道であることを大胆に告白している。(ローマ1:17)
絶望を希望に変える救い
痛んだエゴを元の自分の姿だと信じてその監獄に監禁されて瞬間毎に自己追及をしながら神様を反逆するしかない者が‛私’ではなかっただろうか。このように存在的に罪人である私を救うために神様がこの世を愛されることと心に決められた。私たちの状況と関係なく一方的に愛されて見せられた救いの福音はこの世のすべての挑戦と迷いの中でも必ず開かれることと宣傳したのが、ローマ人への手紙にごっそり込められている。
現れた秩序である自然法則を悟るためにでも数千年の歴史が必要になるのに、万物を造られた神様のみ旨から流れ出して来たその愛の深さを誰が完全に悟るだろうか。その法則をすべて知って、理解できないけど重要な事実は万物が主に戻ったら腐敗したすべての秩序が回復されて、結局、神様が永遠に栄光を受けることになる点である。神様の‘絶対主権’を信じる人こそが告白できることだ。
その方の計画は完璧であってみ旨は完全で逆らえる者がいないので、私たちは歴史(History)をその方の歴史(He’s story)として信じる。この事実に対する沢山の挑戦が歴史の中であった。神様を本能的に拒否する罪悪の癌が世の中を手にしているように見えるけど主はそれを笑いながら神様の水準の対策であるキリストを送られて、むしろ、その御前で服従して伏せろと命令された。(詩編2:1~7)。夏の葉っぱが秋の冷たい風でなくなるように、霧のように消えて忘れられるのが人生である。その時間の中で真理を発見すれば真なる人生を生きたと言えるだろう。永遠に変わらない絶対主権者である神様が約束された通りに必ずご自分の栄光をこの地にいっぱいに満たされるのだ。“水が海を覆うように大地は主の栄光の知識で滿たされる。”(ハバクク書2:14)<続く>[福音祈祷新聞]
キムヨンイ宣教師(巡回宣教師、LOGミッション代表)