私は教会に行く人よりもっと奉仕しています。

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誰もが嬉しい知らせ、即ち、福音を聞くことを望んでいる。福音を渇望する魂のために多様な信仰の告白をからし種宣教会で製作された伝道誌で書き抜き、紹介する。<編集者>

“私は乏しい隣人を面倒見ています。ところで、教会は私よりもしませんね。”

聖書にも‘隣人を自分のように愛しなさい’とはっきりと記されてます。しかし、あなたが教会に対して誤解している部分があります。神様のみ旨にあう隣人を愛するというのがどんな愛かということです。イエス様もこの世で会ったかわいそうな隣人の病気や飢えを積極的に助けました。その時にイスラエルの民は現実的な必要を満足させてくれる王としてイエス様が必要でした。ところが、イエス様の愛の本当の目的は肉体の必要を満たされるのではありませんでした。

パン、病気、政治的な独立、このようなのを後に回してもよいほどに重要なのは何でしょうか?それは、魂が救われることです。だから、イエス様が群衆の期待を捨てて、むしろ彼らの怒りのいけにえになっても彼らを救うために父なる神様の計画通りに死ぬことで従順されたのです。

今は、善い行いで生きるあなたについて考える時です。残念ながら、その善い行いにもかかわらず、善い行いがあなたの罪をきれいにすることはできません。罪は赦されたらなくなるのです。あなたの罪を裁く神様の御前で告白して赦してもらうのです。そして、あなたを救うために命まで惜しまなかったイエス様をあなたの心の主人としてお上げするのです。

‘一人の小さい者にしたことがイエス様にしたことと同じだ’という御言葉のように、乏しい隣人を面倒見ること、当然、教会のするべきことです。でももっと当然な教会のするべきことは‘イエス様を信じて救われなさい’と絶えずにメッセージを伝えることであります。[福音祈祷新聞]

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