エニシダの木の下 (4)
倒れた所で再び立ち上がる勝利の秘訣は、いける神様の御前に立つ事である。いける神は静かにささやく声でご自分を掲示される。エリアの前に非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。
風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。落胆して絶望に陥ったエリヤにこのような奇跡は役に立たなかった。ただ、静かにささやく声で共に居られて話せる生ける神様の御前にたった時こそエリヤの絡み合っているすべてが落ち着かれた。
状況分析が上手いからといって状況を変えるわけではない。状況分析より重要な事は生ける神様の栄光の御前にたつことである。極端主義の武装団体がテロを犯して、あらゆる犯罪を犯して人を脅迫するのは昨日や今日の事ではない。世間がいくら騒いでも神様の御言葉だけを覚えていればいい。
“なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか 「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り”(詩篇2:1~4)
神様の統治から逃れようとしている世間の敵がいる。悪が盛んで、神様の国は見えない今、神様の栄光と威厳と神聖の御前に立ったら目に見える世間は革袋からこぼれる一滴のしずくに過ぎないのだ。“見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく。天秤の上の塵と見なされる。島々は埃ほどの重さも持ちえない。 ”(イザヤ40:15)
いくら華麗な世の中も、偉い権威を持った帝国も、狂って暴れる悪の枢軸でも神様の御前に立ったら何でもなくなる。立てる方も、廃する方も神様である!全能な神様の御前で私たちはどんなに無能な存在だろう!永遠の神様の御前で単なる枯れる草に過ぎないのではないか!
醜い罪人であるだけ!だから、生ける神様の御前に立て!主の栄光に視線を固定すればすべてが落ち着く。私たちを脅して、座り込ませたすべてが霧のように引き下がるのだ。
エリヤを立たせたのは偉い奇跡ではなかった。聖なる主の静かにささやく声であった。今も御霊が私たちの心の中にささやいたら聞くものは生き返る。そのために記録された聖書を下さった。一時期覚えてて忘れてしまって落胆して絶望の中に落ちた時に記録された聖書で話される事で私たちを再び引き起こして勝利させてくださるのだ。
常に真理の御言葉に注目するべきである。そんなときに真理の御霊は相手によらず、状況によらず私たちの魂を感動させて、叱って、悟らせて、悔い改めるようにしてくださる。<続く> [福音祈祷新聞]
キムヨンイ宣教師 (巡回宣教師。 LOGミッション代表)