私が死なないといけない罪びとであることに気づいたとき、み恵みが臨みました。

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牧師の子供として育った私はとても律法的な人でした。高校の時初めて成人映画を見ました。二度と淫乱映画と映像を見ないと決心しましたが、その映像が私を誘惑し続けていたので自分の欲求に負けていました。

その後イエス・キリストを人格的にあってから主の愛に感激して宣教師の道を歩みたくてキリスト教学を専攻しました。

教会と学校では賛美の指導者として奉仕して聖い生き方を望んでいました。しかし淫乱の欲求は私の中で断つことができなかったです。付き合っていた人たちと数多くの罪を心の中で犯していたので罪に足を踏まないようにと思って彼らと別れました。

それで私の全部を愛してくれる今の夫に出会って結婚を決心したとき、自分の力と意思で押さえていた罪の本姓が現れました。罪と神様の聖さはともにすることができないとよくわかっていた私はだんだん主の視線を避けて主から離れるようになりました。

しかし牧師の娘であるので教会は通っていて仕方なく賛美も続けました。主の前で偽善的な生活を続けていましたが、再び悔い改めて夫と結婚したので罪深い昔の自分は終わったと思いました。

悔い改めと共に完全な自由をいただく

ある日堕胎が罪だというみ言葉を聞きました。私は他人の堕胎を心の中で批判しました。その時神様は完全に忘れていた以前のことを思い出させました。結婚前夫と罪を犯していた時生理がなかったので主に祈り叫んだことが思い出しました。

’神様、私まさか妊娠したのではないですよね。私は牧師の娘なので堕胎はできません。神様の栄光を汚すことです。妊娠でなければもう二度とこのような罪は犯しません‘ もし妊娠ならば親に嘘をついて手術を受けようと思いました。でも妊娠ではなかったです。神様はその時を思い出させながら言いました。’殺人者はあなたである‘ その声を聞いて十字架の前にひれ伏しました。

機会と環境さえ整えていたらもっと大きな罪を犯したかもしれない私、殺人と淫乱で主の前で高慢であったのは自分自身でした。’神様、私は死んで当然な存在です‘ その事実を認めると十字架の恵みが大きく感じられました。神様の御恵みと愛はここにいます。罪人である私のために十字架で死んでくださいました。

これからは主と共に十字架で死んだと宣言します。主の創造によって作られた私はキリストと共に復活してキリストのために生きていきます。私は今自由です。なぜならば主が私を許してくださって私に聖い服を着せてくださったからです。

私は夫と共に悔い改めて主の前に進み出て聖い家庭を作ります。主が私にゆだねてくださった宣教の使命に従うと決断します。私の主権を主にゆだねて主が導くところならどこでも従います。北朝鮮でもいいし、シリアでもいいです。あるいは近隣の教会でもいいです。主の臨在があるところで福音を伝えていきたいです。[GNPNEWS]

ハン・セミ

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