士師時代に輝いた福音(1)
“そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。”
(士師記21:25)混沌と混乱の士師時代はこのように一行で要約できる。本当に王がなかったのか?決してそうではない。真の王である神様が生きておられるのだ。
神様の実存が一番明らかになった事件は出エジプトの歴史であった。出エジプトを経験したイスラエルほど神様の実存を生々しく体験した民族はいない。毎日空から降りてくるマナを食べて、岩から出てくる生きた水を飲んだ。それこそ毎日が奇跡の連続だった。
何よりイスラエルはどんな民族ででも信じて従順すれば福を得て、幸せを得る完全な率法を受けた。これだけではない。神様がイスラエルの先祖アブラハムと結んだ約束は少しもはずれることなく成就された。イスラエルは神様を否定したくても出来なかった。
しかし、その後に興った別の世代はどうだったのか? “その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、 その後に、主を知らず、 主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。” (士師記2:10)約束の地であるカナンで彼たちはそれぞれ自分の目に 正しいとすることを行っていた。
実に、王がなかったのではない。生きておられる神様が唯一の王であった。法もあって、約束もそのままだった。なので‘王がない’というのは彼たちが神様を王として認めたくなくて押し出したということである。‘その後に興った世代’は‘自分’が‘自分の人生’の主人になって生きていたので彼たちの世代は歴史上一番混沌であった。時代が変わっても自分の人生、自分の罪のために死んで滅びる人の直向な特徴は、その心の中に神様を認めることをしたがらないので‘自分’が‘神様ぶり’をすることである。
約束の地に住んでいたイスラエルは神様が下さった福福しい便りを投げ捨てた。まるで家を建てる者の捨てた石のように。福音を投げ捨てたらその地が凶年を向えた。苦難の時には考えるべきなのだ。そのときこそ祝福の時であり、恵みの時であるのだ。例え自然的な環境から来た凶年だとしてもそれは彼たちの霊的な状態がどんなに荒廃したかを知らせてくださる主の警告音である。それで苦難は有益な時が多い。
この時、イスラエル人中に住んでいたある家族の物語で聖書のルシ記が始まる。旦那エリメレク、‘私の神様が私の王である’彼の名前自体が福音である。彼の妻のナオミの名前は‘喜び、うれしさ’である。‘私の神様が私の王になったらうれしい!’夫婦がすばらしく出会った。凶年になったら神様の御前で悔い改めるが良い。神様がむちを打つ時はすばやくその御前にうつ伏せになるべきである。
しかし、エリメレクは飢饉を避けて約束の地を発ってモアブに逃げる。これは滅びる近道である。よりひどい飢饉にあった。外的な凶年を避けたら存在的な凶年を向えることになったのだ。二人の息子であるマフロンとキルヨンの名前が意味深長である。‘疾病’と‘荒廃’。家族の運命が名前で圧縮されている。神様に祝福されて生きる者であるイスラエルが神様の保護から離れて彼たちの力で生きるとしたら選民が自然人になってしまった。神様の約束と祝福によって生きる者ではなく生老病死によって生きる者になるしかなかった。
旧約のメッセージは一筋である、“再び福音の前に!”飢饉を向えたら再びエホバ神様に戻ったら生きられる。ヤコブには戻るべテルがあって、どら息子には戻る父の家があったように混沌と迷いの中で主はいつでも再び戻れる道を開いて下さった。いつでも神様の方に向えば生きる道、回復と癒しがある。
生きて居られる神様に会える道が御言葉にあって、人類の希望が教会にある。なのにどうしていまだに士師時代の混沌が教会の中に存在するのだろうか?!福音が変わったのか?決してそうではない!福音をもらった私たちが問題なのだ。福音はいまだになお福音である。エリメレク家庭の問題は福音が実際にならなかったからであるのだ。福音から離れた人生、神様を認めない人生は、小さいごろから福音を聞いたとしても実際にならなかった人生は迷わないすべがない。
(2016.4 メッセージ整理) <続く> [GNPNEWS]