信心の秘密、イエスキリスト

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歴史の中にあったいかなる帝国も、いかなるイデオロギー(Ideology)も、人を満足させることはできなかった。必ず堕落して、抑圧と不平等などがあって、罪を防ぐことはできなかった。

しかし、神様の国は公平と正義の国であり、完全な平和(Shalom)の国であり、聖なる国であり、神様の臨在の栄光が満ちるところである。ダビデがあれほど熱く願ったこと、それはずばり神様の国であった。それで、彼は神様の国を成就する為にいらっしゃる王の王、主の主をあれほど切に待っていた。だが、ダビデは生きている間にその方に会うことはできなかった。

400年の新旧約暗黒期を経て、完全な絶望の灰燼の上に、ついに王の王、メサイアが来られた。神様は真実に約束を守って下さった。“いと高きところには榮光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。”(ルカ2:14)彼のお名前はインマヌエルだった。 “見よ, おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、“神は我々と共におられる ”という意味である.”(マタイ1:23)

犯罪を犯して神様から離れたことが最高の悲劇だったとしたら、人を救う最高の喜びは、神様に戻ることなのだ。神様のところに戻ったら生命の源を得られる。私たちが探しているすべてが神様の内にある。神様なしで持っているのは全部幻に過ぎない。すべてを取り戻す有一な道は神様に戻る事であるのだ。

存在するすべての中で、どうしても会えない東と西の概念より、もっと遠い概念が聖なる神様と罪人の間である。神様の聖なる光の前に立ったら、罪人は死ぬことしかできない。この距離を埋める秘密は‘信心’である。罪人にはもっとも不可能である‘信心’を成し遂げるために、世を愛された神様が人生と歴史の中にそのひとり子をお與えになった。一瞬の訪問ではなく、永遠な同居と連合の秘密、即ち‘インマヌエル’で成し遂げられた。

ダビデがあんなに夢見てた神様の臨在の栄光が‘インマヌエル’で現れた。ダビデの息子であるソロモンが建てた神殿でも足りなかった。 イエスが居られた当時の神殿は形だけが残られているだけで、強盗の巣になっていた。キリスト教という宗教では神様の栄光を見る事はできない。そういうわけで、主は自ら私たちに訪ねられて神様と罪人の間のすべての壁を十字架で崩されて、‘信心’の秘密を完成された。

信心の秘密は即ちイエスキリストである。“ 信心の秘められた眞理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、 異邦人の間で宣べ傳えられ、世界中で信じられ、榮光のうちに上げられた。”(テモテへの第一の手紙 3:16)

信心の秘密のすべてを成し遂げられて、今は信じるだけで、不可能だった信心、即ち、神様の臨在の中で神様と永遠に同行するというインマヌエルの祝福を与えられた。このすべてのことをイエスキリストにおいて成し遂げられた。私たちがあんなに追求してた霊性と主の臨在の栄光、そして、恐ろしかった呪いと裁きを終わらせた。私たちに与えられたイエスキリストの十字架の福音はこんなに完全なのである。イエスキリストを信心の秘密とされた神様を賛美しよう!(2016.2 メッセージ整理) <続く>[GNPNEWS]

金ヨンイ宣教師(巡回宣教団)

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