言葉が通じなくても祈りの場所で連合が成されました。

Date

2016年10月3日

我々の世代に世界福音化というビジョンを抱く宣教師夫婦が居た。厳しさもあった。宣教師訓練の過程において落伍もあった。しかし、一度召された主を疑うことなく付いていった。そして主は彼ら夫婦を地球の真ん中に立たせて下さった。共に交わりを持つ事が出来なかった為、キム・メングァン宣教師とユン・ヒャンスン宣教師とそれぞれに交わりの時間を持った。

-どのようにして宣教師へと献身されたのですか?

“2013年3月ある宣教団体にて宣教師として献身致しました。献身した初期、当時3歳であった息子が2週間のあいだに数回において倒れました。目が回り口が青ざめ身体がおかしくなりました。主の僕として献身しようとしたので‘信仰の戦い’だと確信しました。

そして自分の目の前で更に子供が青ざめ倒れるのを見る瞬間‘この子供が死んでも葬儀をして自分は主の召しに従う’という信仰が与えられました。幸い子供はすぐに良くなりました。この事件よって、私自身と世において死ぬという事が何であるのかを実際に体験したのでありました。それ以降全てにおいて主に従う生活が始まったのであります。”

-出発から安易ではないですね。

“はい。宣教師の訓練を受けながら、共に連合して祈る場所を通して子供や妻、自分自身においても主に捧げる事が出来るという決断をする事が出来ました。しかしヨハネによる福音書21章の御言葉を通して、私はペテロのように自分の最善や熱心によっては、主を否認するしかないという事を悟りました。

その時に自分の熱心、自分の最善、自分の義、私という自らが出来る事は何一つ無いという自分自身に対する死刑宣告が執行され、もはやそのような私は死んで私の中にイエスキリストが生きて居られるというガラテヤ人への手紙2章20節の御言葉が実際となったのです。栄光でした。でも6ヶ月間すべての訓練を受けましたが途中脱落となりました。”

-ひどく傷心されたのはないですか。

“はい。しかし他に方法をありませんでしたし、主権者であられる主の許しだと受けるようになりました。その後家に戻り家族と共に礼拝し、福音祈祷新聞をもって伝道する容認ありました。そして宣教団体だけでなく今自分が居るこの場所でもただ神様だけを信じ生きようと決心しました。一番はじめに私は神様からの供給に全的に信頼する信仰を捧げました。許される経済が少なくかろうじて米だけを買いおかゆを作って食べたり道端でお金を拾ったりもしました。

ある日家族が共に食事をしている時、突如このような状況の中で神様に対して不平不満がない自分を発見し‘いったい主は私をいつこのように変えて下さったのだろう’と本当に感謝し感激したのです。そしてある日御言葉を黙想していると、‘ヨセフが倉庫を開け家族に食糧を分けてあげた’という御言葉が強く与えられました。最初は家族の救いについての御言葉かなと思ったのですが、家族の救いを超え全世界に対する救いの御言葉と再度確証を受け1年短期宣教を決断し、準備するようになりました。”

全的に主だけを信頼する信仰の生活への導き

-何を準備されたのですか?

“その当時私と付き合いがある兄弟姉妹達の中で‘我々の時代に世界福音化’が話題でありました。‘21世紀希望、大学生宣教運動’という本を読みながらこれは果たして可能か?と悩みました。その時ローマ書を読み、パウロは‘神様の御国のリバイバルと宣教完成’の夢に捕らわれていることを見ました。そしてこれが果たして我々の側で可能であるか?質問、悩み、祈り、と戦いながらわれわれの側では出来ないけれども神様は可能であり、神様はこれをわれわれの祈りを通して成し遂げることを願っておられるという事を心から受け入れました。

神様が喜ばれるという事に結論が出されこの祈りに自分を捧げようと献身しました。その瞬間これまでの悩みがうそのように去りました。ある宣教師の先生が先にこのビジョンを受け、何人かの兄弟姉妹と共に夜を明かし祈りを始めました。祈りは更に熱くなり主が来られる‘その日’に対する希望が増すころウクライナで戦争が起きました。全世界においてこの戦争は争点でありました。大統領が私的な場所で断食祈りを要請するほど緊迫な状況でありましたが、主は私達をその時ウクライナへと呼んで下さいました。主が本当に下さりたかったのは、主がまた来られるその日に対する夢と、イエスキリスト自身を私達に下さるために、この多くの過程をゆるさたのでありました。”

ウクライナへと旅たつ

-神様の御心により準備して下さいましたね。

“2014年12月家族でウクライナへと向かいました。そこで神様の心をたくさん知りました。リーダーの宣教師が2ヶ月の間韓国に戻られたのですが、その時現地のジプシー出身のパルロジャ牧師を紹介して下さいました。その方と共にウズコルド総合大学のベンチで祈りの集まりを持ち始めました。主題は‘我々の時代に世界福音化’です。私は韓国語でできた‘福音の栄光’という祈りの情報によって、その方はロシア語の翻訳本によって祈りました。

お互いに言葉は通じませんでしたが、祈りの情報の本がありますから共に祈る事が可能でありました。何日かあと牧師先生がジプシーの青年達を連れてきました。手や足を使いながら絵も描きつつ罪、福音、主がまた来られるその日に対する希望について分かち合い祈りました。その祈りの集まりに招待した大学生達は一人も現れませんでしたが、私達は毎週3回、2時間ずつ祈りました。祈り自体が我々には栄光でした。”

-言語に対する壁を打ち砕き連合して祈りが捧げられたのですね。

“この祈りを通して神様は祈る一人の人間を立てられました。まさにバルロジャ牧師です。私達が共に祈る途中その方の義理の息子が重病にかかりました。生きる事ができるのかすら不確かでありました。牧師はとてもつらい状況でありましたが、これも神様の許しであるという思いがしたので牧師に勧めました。‘全能なる神様に我々の生命の主権があることに信仰を持ち我々は全てをかけなければならない。祈りは戦争だ’と言いました。そして病院を訪ね‘私はあなたのために祈るのであなたは全世界のために祈ってくれ’と話しました。

そして彼は従順しました。バルロジャ牧師は4ヶ月の間一度も休まずに私と共に祈りに参加しました。結局主は、信じるものに勝利を与えられました。手術はうまく行き今もとても健康であります。”

-信仰の祈りが働いたのですね。

“ その栄光を見てからリーダーの宣教師夫婦とバルロジャ牧師と共に集まった所で、聖霊は私を強く咎められました。この方達を判断し罪に定めた私自身に対するものでした。神様の御国のリバイバルのために祈っているが、そのリバイバルを隔てているのがまさに私であると言われました。膝をまずき‘私が罪びとです。許してください’と悔改めた時、みなが共に神様の御前に跪きました。私達の悔改めを受け止めて下さり‘主がみずからリバイバルを成し遂げられるに違いない’という心を与えて下さいました。”

-悔改め以降主はどのように方向へと導かれましたか?

“主がまた来られるその日が本当に私達の夢となり、この希望を分かち合いたいという熱望が起こされました。折りよく私が住んでいた地域の大きな教会で主日礼拝の時この希望について分かち合う機会が与えられました。第2テモテによる手紙3章の御言葉によって、この地上で豊かに食べ暮らす事が目的ではない、また来られる主を実際に待つ生活をしようと挑戦しました。

礼拝が終わり若い青年達は私に目もくれませんでした。逆に老人達が反応し有難うと挨拶しハグしてくれました。その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。ヨエル書のこの約束を掴み注目してみるとこの世代が見えてきます。私達は必ずその日を見る事になります。”

宣教師として人生を捧げましたが

中途脱落してのち傷心

“しかし神様は真実に導いて下さいました”

祈りの生活へと献身してから結局宣教地へと導かれた主

“主が来られるその日を本当に夢見るようになりました”

-ウクライナにて長期使役を決断されたと聞きました。

“はい。1年の使役を終えるころ16時間汽車旅行をしながら一人で大使館を訪問しました。今までの人生を振り返ってみました。全てが神様の主権的な導きでありました。神様の夢でありますから、どんな宣教団体でも地球のどこでも関係なくなりました。どこに召されてもアーメンし長期使役に決定する事になりました。”

-祈りの題目を分かち合って下さい。共に祈ります。

“我々の世代にその日の栄光、主がまた来られるビジョンがウクライナの中で具体的に祈りとして起こされる事を希望します。少なくとも私くらいこの希望を抱く現地人が起こされてほしいです。韓国人宣教師と子供達の中にもこの祈りが起こされるようお祈り下さい。”

続いて別にお会いした妻であるユン・ヒャンスン宣教師のお話である。

-ウクライナでの生活はいかがでしたか?

“すでに他の宣教団体を通して共同体を体験したためウクライナでの二つの家庭の連合は楽だろうと考えましたが、安易ではありませんでした。福音が私に自分に実際となっていない領域が赤裸々に現れました。宣教ちの特徴上お互いに交わる幅も狭いため、私にはその時間が荒野でした。主の御前に出るしかありませんでした。実際わたしの弱さゆえに共同体が共に痛みを味わいました。

私の心の中に起こる不平、恨み、怒り、言い争い、自己憐憫と憂鬱、そしてあまり笑わない上体が共同体にとても多くの厳しさを与えました。そしてウクライナの使役を始めて5ヶ月のころ3人目の子供を出産する事になったのですが、韓国に戻りたくなるほど辛かったです。福音の真理が私に実際となっていないためでありました。リーダーの宣教師達からの勧めを受け努力もしてみたのですが、それもつかの間根本的な問題が解決されませんでした。”

不従順の罪を認めて関係が改善されました。

-その問題はどのように解決されましたか?

“主人はずっと私と共に真理によって戦ってくれました。ある日、宣教師たちがなぜ私に訓戒を与えるしかないのかを‘神様の前に立ってみて’と勧めてくれました。祈りをする中で憎みや不従順の罪たちが私の内面にあるという事実を始めて認めるようになったのです。主人の言葉が真実な友人からの忠誠な進めとして受け止められました。私の魂を愛し地獄から救うためであるということが悟られました。それを心に受け入れた時に私の心が解かれました。自然に笑いが起こり感謝へと変わりました。

そして現地人たちとの関係が回復されました。子供達との関係が難しくなる事を恐れ鞭を持つ事も出来なかった私でありました。しかし鞭が魂をよみから救うという御言葉と愛する者を戒めるという御言葉に従い必要であれば子供達を厳しく養育しています。”

-驚くほどの変化ですね。これからの計画をお話下さい。

“実際最初に志願した宣教団体へ入る事が白紙化され最初はとても重い心でした。しかし神様は私を特定した団体へと召されたのではなく、私と言う存在を召された事を知らされました。キリスト人として神様を礼拝し、福音を述べ伝え、一人の夫の妻として、子供達の母として信仰を持って仕え子供達を養育する事が自分の職務であることを心から受け入れました。子供を愛と真理を持って治めることが神様の御国と教会を立てることでありました。今のようにこれからも‘我々の時代に世界福音化’という神様のビジョンを受け、夫とひとつの身体、ひとつの召しの中でウクライナに仕えたいです。”

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