哀れみ使役を通して孤児とやもめに仕えています。

Date

2016-09-16

神様の摂理に従順しているキム・ジョンファ宣教師

神様の御国のリバイバルと宣教完成のため人生をまるごと捧げた。そして後退することなく前進し従順してきた。やがて、突如として主の許しにより‘孤児’と‘やもめ’に仕える使役の中心へと招待されたのである。単純に救済ではなく、神様の御心を受け流す哀れみ使役を通して、人生に対する神様の摂理を悟らされているキム・ジョンファ宣教師(全能者の避け所ミニストリー・shAM(シュェーム)代表)と出会った。

-どのようにして哀れみ使役を始められたのですか?

“2012年使役の日程により当時使役していたアメリカを離れ、しばし韓国へ戻った時のことです。私が国内へ入る1週間ほど前に母が痴呆だと判定を受けたとの知らせを聞きました。母の状態は大変残念ではありましたが、宣教師としての私の召された場所に戻るしかありませんでした。しかし使役地へと戻ろうとしたところ、入国ビザが拒否されてしまったのです。全ての計画を中断するしかありませんでした。そして韓国で与えられた使役に勤めていたある日のこと、父から連絡がありました。母の痴呆の病体が急速に悪化したとのことで助けを求められました。お二人を、われわれが共同体としてで生活している宣教センターへと招くしかありませんでした。共に生活してる宣教センターの共同体の家族の皆が配慮して下さったおかげです。”

-主が避けられない状況をお許しになったのですね。

“魂に仕える仕事が宣教師の働きであるため、目の前の困難な状況にある年老いた両親をないがしろにはできませんでした。そのうち父も母の面倒を見ることに疲れ家へと戻りました。結局行き場のなくなった母だけが宣教センターに残ることになりました。母を連れて生活しながら、初めてこのような境遇に居られる方々を顧みるようになりました。宣教完成を目標として全力疾走していた私の計画にはありませんでしたが、主の許しとしてこの状況を受け入れました。その時祈っている中で、この地で見捨てられいる行き場のない孤児ややもめを顧みることが私の働きであるという心を与えて下さいました。同じくその頃主は、私だけでなく他の宣教師にも同じ心を与えて下さり、予期しなかった哀れみ使役を始めることになったのです。”

ビザを断られ、痴呆症の母を奉養

-哀れみ使役がどのような意味を示すのか教えてください。

“困難な誰かを顧みる働きとして受けたのですが、初めは明らかではありませんでした。ただ主に求めること意外、方法はありませんでした。しかし日が経つごとに母の様態はさらに悪化しました。そしてちょうどソサン(瑞山)にある廃校が、宣教センターとして活用できるようになりました。その時神様は、ご自身が孤児とやもめの神であることを心に示して下さいました。同時にインドの寺院に売られてゆく子供たちを救出し、信仰によって養育したエイミー・カーマイケルのドノヴァー・フェローシップの共同体の事が思い出され、また今もなお死に追いやられている子供たちの為の避難所であるベイビーボックスに関する知らせを聞く事になりました。全てが偶然だとは思えませんでした。ヤコブの手紙に書いてあるように、まことの敬虔は孤児とやもめを顧み、この世から自分を清く守ることであることを悟りました。ですから私たちの仕えるべき対象は、誰も顧みない年老いたやもめ、子供達に具体化されたのです。”

-そのような過程を経てやもめと孤児を顧みるようになったのですね。

“神を愛し、あなたの隣人を自分のように愛せよ。という初めの戒めは全ての信徒が当然従順すべき戒めであります。しかし召された信徒が使役の現場では、この事に対しおろそかになりやすい気がします。ですから私達を立てられた目的は、愛が冷め、冷え切ってゆく終わりの時に、どこに居ても神様の愛を受け流す聖なる通路として、信徒達が立てられるよう共に覚ましあう役割である事が分かったのであります。マタイによる福音書22章にみると、王の披露宴に招待された人々が各自の仕事に忙しくて招待に応じないでいると、王は大通りに出て行き出会った者みんなを呼び席を満たすように言われました。今がまさにその時のような気がします。周囲に神様の哀れみが必要な人々のところへ、われわれがいくことを願っておられる。救いの機会を与えられる事を願われる神様の御心を悟りました。”

-以前、このような使役に対し考えたことがありましたか?

“いいえ。一度もありません。宣教師として献身したのも私の計画でないのと同じです。今、痴呆症にかかっている母は産みの親ではなく、育ての親です。生まれて1ヶ月もまもない私を母が預かってくれました。母の人生の最後に差し掛かる時に介入し、自分がどのような奉仕を受けたのか主は思い出させて下さいました。そっくりそのまま同じ心で母に仕えるようにされる恵みを味わっています。神様の摂理は本当に驚きですね。主の心を悟るようになり自分に向けられたこの召しが特別な恵みであることを知りました。”

母の仕えを通し、幼児時代の恵みを悟る

-使役というより新しい人生へと導かれたのですね。

“そうです。私は本当に使役について誤解していました。現場で人々を訓練し立たせ、達成感があると自分が何かを成しているという風に誤解していました。まさにその事が神様の業であるかのように考えました。哀れみ使役をしながら、自分は何もしていない気がし、初めはとてもつらい思いをしました。使役とはいっても一日一日をただ生きているだけでした。食べさせ、着させ、洗うという、子供とお年寄りの世話をすることが全てでしたから。以前も信仰でしたが、更に信仰によって生きる生活でした。神様がやりなさいといわれる事にただ従順することが神様の業であることを悟りました。私にいかなる達成感が与えられなくても、見えない神様を望み、忍耐する信じる生活を生きていくよう、過ぎる3年間信実に働いて下さいました。これまでにいかに自分の心が高まっていたのか知りました。高まった心を崩され、空っぽである自分の存在を諭され、神様から受ける慰めによって他の人々を慰めるようにされておられます。”

-イエス様とどのように出会われたのか先生のこれまでの人生について聞かせて下さい。

“各自人生においてそれぞれ苦難はあると思いますが、私は本当に特別な環境で生まれました。私の父は、男の子をとても待ち望んでおり、幾人かの妻を置いたのですが、私はそのうちの一人から生まれました。父は早くに亡くなり、娘を産んだ私の母は家から歓迎されず、1ヶ月ほどで私を捨てて家を出ました。このような状況や環境を知りながら成長したので、私は消極的で、憂鬱な人生を送りました。大学を卒業後、私は客室乗務員になりました。会社に就職し2度目の飛行中、偶然自分より年上の韓国人女性に会いました。そのお姉さんを通して教会に通うようになりました。3年程、主日だけ教会に行きましたが、その内神様からの愛が注がれると熱心に教会に仕える様になりました。だんだんその愛を悟るようになり、神様のために生きて行きたいという心が湧き上がりました。職場を辞め自分の人生を捧げると決めたのです。”

-そのような献身を決めることは簡単ではなかったのでは?

当時私には、神様の愛さえあれば十分でした。しかしその頃は感激だけで、ガラテヤ2章20節の御言葉のようにイエス様と私が共に死んだ十字架を経験してはいませんでした。その言葉自体私は聞いたことがありませんでした。アブラハムのように行き先を知らず韓国に入りました。しかしある日、神様が私に伝道者になりなさいと告げられているような気がしました。死ねというなら死ぬ真似さえも出来そうでしたが、その事だけは従順できませんでした。そのように葛藤し96年、ある伝道者訓練を通してイエス様が本当に私の主人となって下さる運命的な事件を許されました。本当に私の中の自分を降ろす事は死でありました。いやほんとうに死にました。どこに行っても、何をしても、全ての主権を主に明け渡す献身をするようにして下さいました。”

-その後、どのような信仰の足取りをされましたか?

“共に伝道師として献身した人達がひとつの心になって集まり、祈り、礼拝しながら、巡回宣教団という団体が立たされました。すでに宣教師はたくさんいらっしゃるのに私達は何をすればいいのだろう。悩んでいるうちに宣教地を巡り、ひとつの目的によって条件なく仕え、連合することが出来ない現場を見ました。それなら、私達はひとつの使役に固定された団体ではなく、各地を巡りひとつに連合しよう。しかしそれさえも私達の力で大きな連合は成すことは出来ないという事実を悟りました。自分達の身内の中でさえひとつに連合することが出来なかったからです。聖霊がひとつにして下さったことを私達はただ従順するのみであって、私達からは何も出来ないのだ。そしてこの福音を生き抜くこともまた祈りが鍵である事を知り、自分達に対する召しが更に具体化されたのです。その後、この哀れみ使役へと移して下さいました。私をこの領域に従順させてこそ、初めて主の御心を悟ることが出来るため、この場所へと呼んで下さった気がしています。”

信仰財政による哀れみ使役開始

-現在の哀れみ使役について紹介して下さい。

“二人の専任宣教師と、宣教師として献身した二人が共に生活ながら現在訓練課程にいます。パートタイムの同役者達もおります。神様の御前に捧げられた霊的なやもめだけでなく、実際のやもめ達を呼んで共に出来ればいいなと思っています。

一月に一度、毎月3週目に定期祈り会を設けており、1週間に2度、御言葉祈りの集まりをしている方もいます。子供を育て始めた1年は、永遠にこの仕事が続くのかと恐れましたが、今ではいつのことかと喜びが溢れています。以前は想像も出来なかった福音と祈りに積極的に共にしながら、霊的な供給を受けており、とても感謝しています。”

-信仰の歩みをされる中、忘れることの出来ない特別な出会いがありましたか?

“人々に出会う機会は本当に少ないです。しかし、一番忘れることの出来ない出会いは、今養育しているモーセとシウとの出会いではないでしょうか。2014年12月に生まれ、12日後に出生申告もされない赤ちゃんに会いました。先輩の宣教師がモーセと呼びましたが、それがその子の名前になりました。二人目のシウは、2年前に知り合ったのですが、最近こちらに来ることになりました。両親の愛を独占すべき年頃であるのに、どれだけの痛みと傷があったことでしょう。やっと私の息子となっていっています。”

-センターはどのように運営されてますか?

“毎日主に求める信仰財政の原理で私達の使役は続いて来ました。初めは一人の方を通して主が経済を満たして下さいました。ある日は、かなり大きな規模の献金が入り私達がすごすことの出来る建物を置いて祈り始めました。次の日全く予想しなかった所から、主が与えて下さって現在の建物を建て始めました。そして5月に入居感謝礼拝に参加した方たちも共に参加しています。”

-使役しながら苦難に合われる方達をたくさん見受けると思いますが、なんと慰めの言葉をかけられますか?

“‘降りる時に見ました。登りの際には見れなかったその花。’最近見た詩です。問題なく万事が思い通りになる状況の中では見ることが出来なかった事を、心が貧しくなって初めて宝として発見したという言葉に見受けられます。私もまた同じです。以前は経験することの出来なかった事柄を、今経験しながら心が低くなり、もっと尊いものが何であるのかを知っていっているような気がします。この時代の母達を本当に尊敬するようになりました。以前は本当にし合わせて良かったではなく、この今の時期が一番尊い宝を発見できる機会である時であることを忘れないで頂きたいです。”

-最後に祈りの題目をお願いします。

“哀れみの心を抱いた方々がもっと来られ私達と共にしてくれることを願います。神様の子供達がここによこされ神様の御手によって養育されることを願います。ここの使役がモデルとなって神様の生命が世界各地に流れていく事を見たいと願います。”

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