“イエス様が自分の主人であるという事実を信じられるようになりました。”

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神様に付いて行く人生へと献身したシン・ウンソプ執事

彼は電力分野において専門家として誰しも羨望する会社で平凡な職場生活をして来た。しかしある日疑問が生じた。自分の生活の中においてイエスキリストは誰であるのか?長い間信仰生活を送ってきたが、彼にとってイエスキリストは聖書に登場する特別な存在に過ぎなかったのである。しかし驚くべき出来事を経験する。イエス様が自分の主人だと本当に信じられるような出来事を経験したのである。

-いったいどのような事が起こったのですか?

「3年前のある日のことです。妻から誘われてある牧師先生の集会に行く途中でした。賛美を聞きながら向かっていたのですが、突如‘主よ’と呼ぶ理由はなんだろうと考えたのです。言葉通り主人でありますよね。‘そうだ!私が主よと呼ぶのなら言葉通りその方が主人なのだ。’とそのまま信じる事ができました。自分の人生において新たな人生の幕が開かれる瞬間でありました。」

-どうしてそのような悟りがあったのか不思議ですね。

「考えはそこでとどまりませんでした。主はご自身の生命を与え私を得られたのです。だとするならば、罪人達が二度と逃げられない様に奴隷にしても良かったはずです。しかし今まで自分勝手に生きて来た私でさえも主は待って下さったという事を悟りました。考えの中で整理され始めると、主の愛に感謝が溢れました。主はその集会に参加する前から私の心に触れたのでした。そして集会の始終、主の愛と恵みに感激し涙が止まりませんでした。」

-お一人でこのように恵みに授かる姿を拝見しますと、これまで誠実に教会に参加し信仰生活をされたようですね。

「私は母体信仰ではありませんが、小学校のころから教会に通いました。その時から毎日神様に祈りました。私の家族がみな病気せず、きつい思いをしないように、幸せで健康に生きてみんなで共に天国に行けるようにして下さいと。自分の家族の幸せが私の最大の関心だったのですね。」

-良い子、良い青少年として大きくなったのですね。

「しかし御言葉の前で主は自分の実情を見せて下さいました。私は76年12月生まれです。ですから1年早く学校に入学しました。ですから同級生たちよりも1年幼い状態でした。でも私は友達と同じ年であると一生騙して来ました。76年生まれの子たちには兄さんと呼ぶよう頭ごなしに言いました。人生そのものが嘘でありました。そして自分の八重歯を隠したくておしゃべりを控え笑う事も抑えていました。今では福音の中でそのような必要はないという事がどれだけ自由なのかわかりません。人々が自分をよく評価しようが悪く評価しようが気に留めなくなりました。ただ神様が私をどのように考えるのかが重要ですから。」

-福音にはまことに我々を自由にする能力がありますね。

「主の時に十字架の福音の前に立つことが出来る機会が与えて下さいました。しかし他の人々に比べ私の罪は軽いと思っていました。そのような考えを妻に分かち合いました。妻はとても残念がりました。福音が語る罪に付いて私が正確に悟ったのであれば、このような反応が出るはずがないというのでありました。

人々から認められるより神様の判断がもっと重要な人生に

-相当傷つきましたね?

「そのような分かち合いの後、主日礼拝に参加しました。その日主日のメッセージを聞いていると厳威なる神様の御前に自分の身体がぶるぶると震えました。まるでシークレット・サンシャインという映画に出ている殺人者のように、私の罪は十字架にて全て処理されている為、これ以上罪に定められる事はないという態度が神様の御前にいかに不適当であったのか、大きな恐れとして近づいてきました。その状態が主日の夜まで続きました。その後妻と話し合いました。お互いのこれまでの事について話し合ってみると、妻と私をたゆまず守られ気遣ってこられた神様を発見し、その恵みに本当に感激し感謝致しました。」

-それ以降の生活を主はどのように導かれましたか?

「執り成しの祈りの学校に登録しました。終わりに差し掛かる頃海外にアウトリーチに発ったのですが、自分はパキスタンに行きました。建物が破壊され、砂埃まみれの状態でした。ガソリンスタンドに行ったのですが、父親と一緒にバイクに乗っている子供の姿が見えました。たとえこの親子の姿はみすぼらしくとも本当に幸せそうに見えました。また私達のチームを引率していた宣教師の先生の後ろに付いて回る息子さんの姿も見ました。

砂漠に行くので危ないからと引き留めても息子さんは着いて来て薬を配ったりして父親のお手伝いをしました。砂漠で一晩過ごすとき子供に聞きました。‘お父さんに付いてくるのが好き?’すると‘お父さんと一緒に居られるから好き’と答えました。瞬間、何日か前にバイクに乗っていた親子の姿が思い浮かびました。初めは私も息子のジュウォンとこんな風に生きればいいなという考えでした。

そして韓国に戻り何日か過ぎた後、その心がまさに父なる神様の御心である事を知りました。‘神様は私と共におられたいのだ’どんなことがあっても父親と一緒ならばなんにも関係ないという思いがしました。そして父の心がある宣教の現場に生きたいという渇望が自分の中から消えませんでした。するとこれまでに通っていた職場生活がこれ以上自分にとって意味がなくなってしまいました。」

一生何を食べるか、何を着るかという心配から逃れる事が難しい中、とてもすごい事を悟られましたね。

「はい。すぐに会社に自分の意志を伝えました。すると職場の上司は短期宣教に行って衝撃が大きく一時的な事でもあり得るので、慎重に考えてみようと逆に自分を心配してくれました。私が考えを曲げないと、神様は隣人を愛しなさいと言われた。同僚たちが死にものぐるみで働いているのに自分だけ逃げてよいのかと言いました。

しかし私はこの時に召された主の前で決断しなければ崩れ落ちてしまうという思いがしました。会社には退職ではなく1年の休職書を出すことに決まりました。最初は一回で決めず余地を残したのではないかと恐れもしました。また戻りたいと思ったらどうしよう。しかし感謝すべく1年が過ぎた今でも一度もそのような思いがしたことはありません。しかし休職も神様が許された事であることが分かるようになりました。」

-どのような意味からですか?

「ここ1ヶ月の間私の進退に巡りもめごとを繰り広げる中、なぜ私が会社を辞めるべきなのか、私に福音はどのような価値であるのかを話すことになりました。これまでに一度も福音を伝えていなかったのです。最後に挨拶をして出て来る時信仰をもって宣布しました。‘終わりの時、全ての人に神様の霊を注ぐと言われましたが、その時に私達みなが神様を知るようになります。もし世の中と神様の間で決断の時が来たら必ず神様を選んで下さい’と言いました。今はとても感謝しています。退職して出てきたらこのような機会は与えられなかったからです。機会を下さった神様に感謝し期待しています。」

-では、これまでの1年どのように過ごされましたか?

「‘主は私の羊飼い、私に乏しいことはありません。’この御言葉を信じたいのですが、信じる事が出来ませんでした。神様のみで充分な者、神様にだけ付いて行く人生を生きたく6ヶ月の共同体訓練である福音士官学校に志願しました。恵みにより訓練に参加し主が私の中で働いて下さった大きな出来事が2つあります。私の‘自己の義’を崩し神様の信仰を与えて下さったのです。”

敬謙の姿を真似する者から生命の回復を味わう者へと

-具体的にお話し下さい。

「初めは多くの人たちの前で祈る事が難しかったです。それでも信仰を持って祈りました。初めは主の恵みだと告白しましたが、時間が過ぎると同時に‘それでも結構祈りが上手に出来た。みんな良く見てくれたよね。’と考えていました。しかしこれが自分の義だということを教えて下さいました。また訓練期間中の1週間‘学生に仕える’という役割を担当しました。訓練生たちがお茶を飲めるように保温瓶に水を満たし、切れたコーヒーやお茶を管理する仕事でした。

しかしその役割をきちんと果たすことが出来ません。他の事をしていてうっかり忘れ、人の世話をしていざ自分の仕事は出来ていない。世の基準では他の人を助ける事は褒められる出来事ですが、神様の御国では正しくありませんでした。いくら自分が義に見えても神様の御言葉通りに従ってなければ、いかに神様の御業に立ちはだかる事になるのかを骨に染みるほど悟る時間になりました。その時私の善良な自我は完全に崩れ去る事になりました。それまではいい子のふりをし、敬謙の姿を作り出す者でありましたが、その時やっと自分を敬謙にと回復してくれた福音が真の喜びとしてやってきたのです。」

-では神様の信仰はどのようにして受けたのですか?

「ある日自分が黙想している姿を見ました。まるで今日の運勢でも見るかのように御言葉を見ている自分を発見しました。信仰のない私に信仰を下さいと神様に祈りました。死んだ者を生かし、無き者をある者として召される神様を信じる信仰を求めました。その時、訓練に参加していたある訓練生の家族が交通事故によって命が危ないという知らせを受けました。私達は心を合わせ生かして下さいと祈りました。すぐに昇天されたとの知らせを受けましたが、ルカによる福音書に出て来るヤイロの娘のようにもう一度生かして下さいと祈りました。その魂の救いの為に祈っていた訓練生たちは祈り通りに答えて下さった事を信じ喜びました。しかし私は喜ぶことが出来ませんでした。信仰の混乱が訪れたからです。」

-信仰の混乱はどのように解決しましたか?

「神様の恵みによりもう一度機会が与えられました。また他の訓練生の家族の病気の為に祈ったのですが、亡くなりました。しかしみんな一緒に信仰によって主の祈りの讃美を捧げました。‘天にまします父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ…。主は私の信仰の目を開かれ見せて下さいました。単に死んだ肉体が生き返るより、魂がイエスキリストを信じ救われ永遠に生きる事を求めなければならないということです。死んでよみがえることの主権は完全に神様の御旨の中にあるということが信じられ、だからこそ祈りしかないという信仰が与えられました。目に見える奇跡ではなく、天の神様がこの地に来られ私と共に死んで、私の中に生きる事が奇跡の中の奇跡であることを信じるようにされました。」

望み願っていた信仰の生きざまは御言葉が導く人生

-望み願っていた信仰の賜物を貰いましたね。

「このような状況の中でも自分がいかにどうしようもない者であるのか、いつも現して下さいます。福音に完全に出会った者の変化は、人生の主人が変わる事ですよね。神様が召された所ならどんな場所でも良いのですが、海外に出て行きたいという自分の願いに固執していました。自分がやりたい事が変わらず内にあったのです。本当に御言葉が私を導いているのか?1日を生き抜く命の御言葉を求めているのか?主人である主が御言葉を下さるよう毎日渇望するようになりました。主が召された所を語って下さいと求めています」

-そのような信仰の足取りについて家族の反応はいかがですか?

「もちろん信仰生活をしている両親の立場では苦しんでいます。どうして苦しい道を選ぶのかと。世の中で成功してこそ神様にも栄光になるのだと、しょっちゅう電話で反対しています。いまだに両親は私達を見る度もう一度考えてみなさいと促します。簡単には諦められないのでしょう。しかし両親の中でも主が働かれると信じます。」

-この頃どのように過ごしていますか?

「全世界連合祈祷チームとして10数名と共に宣教師の道を準備しています。妻は私が経験した共同体にて訓練を受けています。私と共に宣教師として準備している方々が子供達をおぶって、食べ物をいっぱい用意して集まり、子供達を隣で寝かせながら、福音を分かち合い全世界の為に祈っています。これこそ生命が連合する教会、神様が夢見た教会だという思いがしています。この集まりに呼んで下さっただけで感謝です。」

-最後に祈りの題目をお願いします。

「愛を無くしてする全ての事はしんどく力尽きてしまいます。義務感によって子供に接し祈る時には結局疲れました。主を愛していく道でなければどのような道でも進む事が出来ないはずです。主を愛し進む道となるよう祈って下さい。

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