掃除しながら祈って、洗濯しながら賛美して、一日中主を思う

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私の夢は政治家だった。この世で福音の証人としていきたかったのである。それで5番目の子供を幼稚園に送った後、再度大学院に入って途中であきらめていた福祉政策を勉強して区委員からだんだんと始めようと計画を立てていた。

しかし2015年神様は私たちに6番目の子を授けてくださった。私の夢がまた延期になるようで気持ちが複雑だった。主の御心が何であるのかがわからないまま、’福音と家庭’というヤエル〈家庭の中で夫に仕えて子供を養育する主の国へのよびかけ〉の集まりに参加した。

土師記を見ると、祈るとき4章で‘ヤエル’に会える。平凡な主婦。彼女の台は家の中だった。ある日自分のところに来た敵将軍シズラを処断した。民族の敵をころした勝利。しかし私はそれを認めたくなかった。家がとてもいやだったからだ。15年間子供を育てた。このくらいで十分だと思った。家庭にいる私がとても無能力で情けなく思えた。私の夢をあきらめることができなかった。

しかし訓練を通して主の夢が自分の夢になるようにしてくださった。ヤエルは決してみすぼらしい無能力者ではなかった。毎日み言葉とお祈りで主に従った女性、彼女の人生は同族を救ったのであった。

主の夢が自分の夢になる

6番目の子を産んでやっと私の使命に気づいた。‘…たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。’〈コリント人への第一手紙13:1-3〉

愛がなければ何もない存在、主でないとどんなものでも説明できない者へと立たせてくださった。胸がいっぱいになるほど感謝したのは、私の状況と条件の変化ではなく自分の存在が変わったことに気づかせてくださったのである。

ヤエルで始める一日は以前とは比べることができない。生きていく姿は同じであるが、私の気持ちは違う。私の心はいつも主に固定されている。朝5時50分に世界のための祈りで一日が始まって、夜12時になって終わる。

私はお家の中で6人の子供たちが福音証人として立つまで、毎日十字架で死ぬイエスの命によって主へ進む。一人部屋でのみ言葉とお祈りは私の命になった。み言葉を黙想するときに主の愛に感動して泣いて、世界のために祈るときにそこに私と私の家族がいて泣き、掃除するときに思い浮かぶお祈りがあると祈って、み言葉を聞きながら皿洗いをして、洗濯しながら賛美して、一日中主だけを思って過ごせるこの家で私に主に出会うのである。そして主を愛している。

子供たちがこの世で成功するのを望んでない。滅んでも福音の証人として立つことを、イエス・キリストだけを思うもの、主にだけ十分な者としていきるように、6人みんな受け入れてくださるように祈っている。

主なしでは何もできない者へと呼んでくださった主の善と真実を賛美する。今日も私は忙しく過ごすだろう。しかし主のために幸福である。私はヤエルである。

ジョン・ソジョン

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