私と出会って下さった神様を伝えずにはいられません。

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悪口婆さんからイエス様の愛に完全に溺れた婆さんへと。福音と出会い神様を知った恵みを思い出すだけで涙目になってしまうキム・ヒョンスク執事さん。失意に落ち、自殺まで計ろうとしていた息子が出会ったイエス様と自らも直接出会い永遠の道を歩み、今ではイエス様を伝えずにはいられなくなってしまっている信仰の証人と会いしました。

-どのように神様と出会われましたか?

「2006年の5月末にイエス様を信じるようになりましたから、10年程になりますね。神様が私に与えて下さった恵みは、福音を信じるようになったその日から一度も後ろを振り返った事がないことです。神様が私の内に居られるという事実を考えれば考えるほど、どれだけ恵みであるか、近頃は部屋の中に居ても、道を歩いていても、寝ても目が覚めてもドキドキします。世界中のたくさんの人々の中で、神様が私の事を覚えておられるという事を考えるだけで、嬉しくてどうする事も出来ないのです。幼い子供のように本当に感謝が溢れて…。(涙)」

-今お年はおいくつ程になられますか?

「今の私の年はそうですね。77歳でしょうか。でも人から年を聞かれた時には、イエス様を信じてから10年ほどになりますので10歳と答えております。これまでの一生の中、なんでこんなにも自分の気の向くままに生きて来たのか、ほんとうに意味がわかりません。神様を知らないので罪が何であるのかも分からず、罪悪感もなく本当に自分勝手に生きて来ました。」

10歳位の信仰

-信じる前の事を少しだけ話して頂けますか?

「息子が小学校の時主人が亡くなりました。一人しかいない息子を一人で育てながら本当に苦労がありました。不動産にも手を広げましたし、色々な商売もしてみました。しかし保証人になった事がきっかけで問題が生じ数年を法廷で争いました。結局裁判で勝訴致しましたが肝心な財産はひとつも取り戻せませんでした。また、結婚した息子に期待をかけていた事業も困難になり家族みな本当に苦しい時期を過ごしました。はぁー。あの頃は家の中がまさに戦場でした。植木鉢が飛び交い、毎日息子達夫婦は離婚と騒ぎ立て…。しかしこの事がなければ私たちはこのような形で神様の御前に出て来る事は出来なかったと思うと本当に驚くべき恵みである事が分かります。」

-その時まで家族の中では誰もイエス様を信じて居なかったのですか?

「はい。神様とは全く関係のない人生でした。それでも神様は助けて下さいました。このように困難な時間の中で、この世に対する生きる希望を全て失ってしまった息子は死のうとしたのですが、神様が一人の友人を通して伝道するようにして下さり、教会に行くようになりました。そしてその教会で洗礼を受けた頃に、その友人の勧めによって息子は2006年3月に1週間の間福音の前に立つ、ある訓練に行って来ました。」

-息子さんはその訓練後どうでしたか?

「息子は1週間留守にしてから現れたのですが、顔がパンパンに腫れていました。だからどこかで叩かれたのだと思い誰と喧嘩したのかと聞いたほどでした。でも息子は聖書の御言葉を信じる事が出来たのだと言いました。神様が世をこれほどに愛されているというヨハネによる福音書3章16節の御言葉が信じられるというのです。そして私に、‘お袋、神様は生きておられる。お袋がイエス様を信じるようになる事が私の心からの願いだ’と言いました。心からの願いだと…。(涙)」

-それでどのようにされたのですか?

「死ぬ覚悟までした息子がこのように戻って来たのですから何かがあるなという風に思いました。それで私もその訓練に参加する事になりました。その時はまだ教会も通っていませんでした。それなのに驚くべきことに神様はその機会を通して私に会って下さったのです。信じられる恵みを与えて下さったのです。その主が今、わたしの主となって下さったのです。それ以降一度も私は、主に‘NO’と言ったことがありません。

教会に通った事がなかったのでその訓練を受ける場所として利用された教会が私の教会だという気がし、家から遠いにも関わらずわざわざそこまで通いました。いかに礼拝を慕い求めたのか、夜に礼拝があるにも関わらず朝から髪を洗い準備して何時間も教会のロビーで待ったりしました。教会にいらっしゃる方たちが、どうしてこんなに早く来たのかと聞いたほどでした。私は、‘私が遅く来ると主が私の事を、探されるかも知れないので’と答えました。(涙)」

-それ以降の人生を主はどのように導かれましたか?

「聖書を読み始めました。ある日ですが、このように尊い聖書の御言葉を書かなければという思いがしノートに書き始めました。それから息子にもっと分厚いノート買わせどんどん書き進めて行きました。ある日は一日に18時間、食事だけして後はずっと聖書だけ書いたりもしました。コーヒー愛好家なのですが、コーヒーを一口飲んで二口目にいかずにずっと聖書を書いた日もありました。そのように聖書全体を3回筆写し、今では4回目に入っているのですが、最近は御言葉を1章1章黙想しながらもっと深い恵みを味わっています。」

-本当に完全な変化を経験されたのですね。

「この世の全ての人が違うと言っても、私の中に生きておられる神様は確実にこの世界の創造主であり、永遠であられる方だという事実を、一度も疑った事がありません。ですから、この話を一人で知っていることに耐えられず、会う人会う人に私と会って下さった神様を伝え始めました。私に信仰がなかった頃から長い間住み慣れているマンションで、マンションの全住民が、私がどんな人間であったのかをみんなが知っているその場所で、主は福音を述べ伝えるようにされました。」

以前の私は自分の基準に合わなければその人の目の前でも平然と言いたい放題言葉を放つような罪人でありました。ほんと毒々しい性格でした。ヤクザも近寄らない程でした。だからある人達は道の先の方で私の姿を見つけると、違う方向に曲がったりもしました。そんな私が老人ホームでも、どこでも訪ねて行き福音を伝えるので、どこか変な所にはまってしまったからだと、人々はおかしな目で見たりもしました。しかしそのような声は私の耳には聞こえませんでした。」

言いたい放題暴言を吐き散らすような罪人を、福音を伝える者へと

-どのように伝道されたのですか?

「約1年位何もしないで伝道だけしました。福音祈祷新聞を片手に道行く人や、お店、病院、人の家等どこででも伝えました。町中を回りながら‘今日はこっちに、明日はあっちに’と言いながら息子夫婦と伝道しながら生きました。伝道する時に、縁起でもないと言いながら塩をまかれた事もありますし、ほんと色々な目にあいました。しかし主はその間ずっと十字架だけを自慢するよう導いて下さいました。ただイエス・キリストその十字架のみを伝えるようにされました。」

-特に記憶に残る伝道がありますか?

「いちど道を歩いている時に、ある化粧品店の人から呼ばれて店の中に入った事がありました。話してみると中国の方でした。私が住んでいるインチョン(仁川)には沢山の中国人がいます。ひまわりの種など食べ物を出してくれましたが、食さずしばらくして店を出ました。そのように知り合い、その前を通る度に目が合うとその人は私を店の中に誘いました。本当に不思議な事は、言葉は通じないけれどもお互いに身振り手振りしながら会話をしたと言う事です。ある時はタオルを首に巻き何かを聞いて来て、お風呂屋さんの事を話しているようだったので連れて行ったこともあります。」

身振り手振りしながら中国人伝道

-言葉が通じないのに伝道したという事ですね?

「会う度に十字架のネックレスを見せながら‘イエス様を信じる?’と韓国語で聞きました。慣れない所に来て本当に寂しいだろうと思ったので、彼女を見るたび優しくしました。主がある人を通じ電子レンジと中古の冷蔵庫を与えて下さったので彼女にプレゼントすると、お金を払おうとしたので‘プレゼントだよ’と話しました。このように言葉は通じなくても心が通い合う間柄になったようです。

そして実は彼女が店の大家から貰うべき保証金を1年も貰う事が出来ずにいたことを知りました。ある日店に行くと大家と保証金の事ですごくもめていました。それで私が仲裁に入りお金を貰う事ができました。それから彼女は私の事を完全に信頼するようになりました。それからは私が彼女の手を引いて教会に連れて行きました。最初は居眠りしたりもしましたが、どんな話をされているのかだんだん気づいているようでした。もっとびっくりする事は彼女が週の中ごろに自らチャイナタウンにある中国人教会に通っているという事です。」

-その方とは今でも交わりをされていますか?

「ここに鍵がありますよね。(壁にかけてある鍵を指さし)彼女はときどき1か月程中国に帰る事があります。そんな時に化粧品をたくさん保管してある倉庫の鍵を私に預けて行きます。責任を取る事が出来ないからというのですが、大丈夫だと言います。息子夫婦も韓国に住んでいるのですが今ではみなイエス様を信じるようになりました。テジョン(大田)にて教会に通っています。ある時私の家にみんな集まって交わりをしたのですが、大学の研究所で働いている韓国語が話せる彼女の嫁が言いました。‘私たちにこんな風にしてくれる人はいませんよ。誰が私たちのような外国人にこのようにしてくれるでしょうか。これは本当に神様がされた事ですよ。’この言葉を聞いて涙が溢れました。それから最近彼らに与えて下さっている神様の恵みを分かち合ってくれたのですが真似することもできないような告白をしていました。息子さんは来月洗礼を受けるそうです。」

讃美の音のおかげで近所の人たちと祈りの集まりが始まる

-本当に驚かされますね。

「はい。とにかく主が出会わせて下さった方たちはみな尊いです。今私が住んでいる家で、こないだ1週間のネヘミヤ52祈りをしたのですが、マンションですから祈りの声の音や賛美の声が響きますよね。それで近所の皆さんはうちが宣教師の家だと思っているようです。恵みですね。後から分かった事ですが、周囲に神様を信じる人がたくさん居ることが分かりました。それで1回ずつ顔を出すようになり、交わりをするようになって今ではマンションに住んでいる勧士さんたちと定期的に集まり御言葉祈りをしています。この集まりを慕い求め、みなさん参加しています。」

-最近主が下さった恵みがありますか?

「実は私の片方の耳は聞こえが良くないのですが、こないだクプラ結石症を患い早朝に急いで救急室に行きました。身の周りがぐるぐる回転して目を開ける事も出来ず、嘔吐して、一度もしたことが無いほど苦痛な体験でした。‘あぁ…こうして死ぬのかな’と

思いました。すると心が単純になりました。

‘人生はあっという間だ’と思いました。そして本当に直す事が出来ずにいる性格や、神様の前で罪なる自分の姿を映して下さいました。それから‘もっと生きて神様の御前に近づく事が出来るならこのままおいて下さり、今がもっと主に近いのであるならば今日にでも天国に召して下さることにアーメンです’と告白しました。」

-心惜しいのですが、最後に信仰の同役者たちに伝えたい事はありありますか?

「人は自分の考え、自分の基準を捨てる事はなかなか出来ません。それを捨てて正すためには本当に主が私の内におられ事、‘主はどうされるだろうか’という考えで従順する時にのみ信仰のいきざまが可能であります。そして神様を恐れずしては一つも癒されることは出来ません。私はそれを知ることが出来ました。主がおられない事は自分の義であり、自分の考えであります。私たちみな復活のある人生であり、生きておられる神様を信じる人生へと進んで行って欲しいと願います。」

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