移住民によって移住民次世代を、福音の世代として育成したいです。

Date

2016-04-11

碧眼の外国人が韓国人より上手に韓国語を話している。もしかするとご両親が韓国人なのではないかと勘違いするほど流暢なのである。現在、多文化代案学校の教師であるアンドレー兄弟は生粋のウクライナ人である。韓国に来て7年目になるが、福音の為に韓国まで来て福音の虜になっているある家族と出会い結婚までしたのである。今は廣州(クァンジュ)地域にて移住民家族の子供達の友となり彼らに福音を分かち合っている。

-どのようにして韓国に来られたのですか?

「一言でいうと神様の恵みですね。福音に対する渇望によって韓国に来ることになったのですが訳を話すと少し長くなります。」

-福音に対する熱望によって来韓したという事ですね?

「故郷であるウクライナでイエス様に出会い神学校に通いました。2000年代の後半になりますが、ある韓国人宣教師の使役をお手伝いする事になりました。そのころ韓国から短期の宣教チームが訪問すると彼らと交わりをしながら通訳もするようになりました。主が言語の賜物を与えて下さり6ヶ月程でほとんどの韓国語が楽に通訳出来るほどになりました。

そんな中ある韓国短期宣教チームが来ることになり、福音を分かち合って下さったのですがとても衝撃を受けました。彼ら自身の罪なる存在を主がどのようにして乗り越えるようにして下さったのかを見る事が出来たのですが、これはまさに福音の能力であるという事を悟ったのであります。その時共に来ていた姉妹は更に私に具体的な信仰の生きざまに対する挑戦を投げかけたのでありました。」

短期宣教チームのメッセージに衝撃

-どのような挑戦でありますか?

「私が福音に関心を持っていたからでしょうか、韓国に戻ってから福音に対する本を数冊送って下さいました。本を受け取る過程で、その姉妹はある訓練を受けるという事で連絡が途切れてしまいご両親の方とEメールを数回にわたり交換しました。

国際郵便(EMS)を使って送ったら良かったのですが、民間の業者を利用した為、たくさんの費用が掛かりました。もちろん主が許された事でしょう。とても高くついた本を購入した事になったのです。多くの代償を支払い受け取った本ですから、熱心に読みました。それ以降福音に対する渇望は更に膨らむばかりでした。そのような気持ちをその姉妹やご両親方と分かち合う中、彼らの勧めもあり福音訓練課程を受けたいと思いから韓国に来ることになりました。」

-何の縁故もなく韓国行きを決定されたのですね。

「その時は本当に渇いていました。私は伝道師としての働きをしながらも放蕩した生活を送っており、罪の中におぼれていました。そんな私には生きる希望が必要でした。それが福音だと信じる事が出来ました。だから本当にかばんひとつで、3か月ビザを貰い韓国に来ることになったのです。その時が2009年でした。そして主の恵みにより十字架の福音の前に立つことが出来ました。もちろんウクライナを出た時には親も知人もみな反対しました。あまりにも無謀だということでした。」

-本当に全てを諦めた結果、福音に出会ったのですね。

「韓国に来る時のルートになってくださった姉妹の父親が、福音に対する情熱を持っている青年として私を見て下さいました。全く計画にもなかったのですが、信仰によって娘と結婚しなさいと勧められ私に福音の通路となってくれた姉妹と結婚をすることになりました。」

-そのような事情があったのですね。

「それだけではありません。そのあと福音を悟ることになった福音学校へ奉仕者として参加し、自分のこれまでの人生について妻に話していなかったことを思い出しました。そして妻と牧師である義理の父と母の前で私のような罪人を生かして下さった主の恵みに対して話しました。私がいかに存在自体、罪人であるのかに対する内容も話しました。妻と妻の御両親はみな信仰によって私を受け入れて下さいました。そのことがきっかけとなり、私の人生を本当に全て主に捧げる事が出来ました。

主の恵みによって韓国で結婚

-それ以降主はどのようにして人生を導かれましたか?

「妻が受けた6ヶ月の共同体訓練の福音士官学校に申込みしました。私は特別に2度もその訓練を受ける事になったのですが、2度目の訓練を終える頃、世界各国の福音の伝道者たちが宣布している動画を見てとても衝撃を受けました。言葉や文化は違えども全て同じ十字架の福音を宣布されていました。福音はまことに全世界用であるということを悟り、福音を聞く事が出来ない人たちに対して残念だという思いが心の中から湧き上ってきました。事実韓国に来て福音を悟り私はすぐに故郷であるウクライナへ帰って福音を述べ伝えたいと渇望しました。

-その時ウクライナに行かれたのですか?

「いいえ。帰れませんでした。訓練を終えある宣教団体に献身したのですが困難がありました。原因は私の高慢でした。当時の先輩宣教師がたから色々な助言を頂いたのですが、全て受け流し出ていきました。みずから一人で教会を開拓してみようと考えたのです。

しかし失敗に終わりました。もういちど家に戻り主の御心を待ちました。そしてある日、基督教放送で今私が仕えているセナル学校の校長イ・チョンヨン牧師のインタビューを聞いたのです。そしてすぐさま学校に伺いました。主が下さった心を分かち合うと、毎週一度ロシア人達のための授業と礼拝の通訳をするよう任せて下さいました。」

-主は海外に行かずともここでその地の魂たちと出会えるようにして下さったのですね。

「はい。早く福音を伝えたいという熱望が溢れましたが、主の時を待ちました。そのように次の世代の事を少しずつ知っていく中ある日、主が機会を与えて下さいました。学校からロシア圏の子供達の授業と礼拝を受け持って下さいと要請を受けたのです。それで昨年末から専任教師として仕える事となりました。現在は児童センター内で放課後の授業としてロシア圏の子供たちに韓国語を教えています。

毎日会う子供たちと親しく交わりながらお互いの心の奥を隠さず打ち明けるようになりました。遊びの時間でも私を訪ねてくる子供たちに、私を神様の人として変化させた福音を語りました。そして継続して福音に付いて分かち合ったのですが、その都度子供たちはとても衝撃を受けていました。‘これが福音なのですか?これがクリスチャンなのですか?’」

-子供たちに沢山変化が現れたのですか?

「高麗人たちは自分の誕生日にとても意味を付与しています。誕生日の為に1年も準備すると言っても過言ではありません。誕生日に何百万ウォン使ってもおかしくない文化であります。それでその子供たちに誕生日パーティーを止めてそのお金をアフリカの宣教師たちに贈ろうと言いました。ところが沢山の子供達が同意してくれたのです。子供たちの心が変わったのですね。

それだけではありません。最近の子供達の間で流行している事の中のひとつに写真や動画などを共有するソーシャルネットワークがあります。それを通して子供たちの霊的状態を知ることが出来ます。以前は見るに忍びないほど露出された服を着て撮った写真を載せ、自分たちの欲しい物を表す文章を載せていました。しかし今では聖書の御言葉を載せ、主に対する慕い求める心を表現した文章がだんだん増えてきています。」

-福音が子供たちを変えたのですね。

「校長先生も驚かれました。変わりそうになかった子供たちが変化してゆく姿を見て福音の能力を知り、思いっきり心が開かれ今では福音によって成す全ての事を支援して下さると話しています。福音は本当に驚くべきものであります。」

福音が移住民の子供達を変え

-多文化家庭の子供達の状況はいかがですか?

「中央アジアから移住してきた子供たちが多いのですが、ムスリム社会で困難の中基督教信仰を守り抜いて来た子供たちは韓国に来るとだいたいが崩れてしまいます。韓国に来て経済的に豊かさを味わう反面、生活自体は崩れてしまうのです。両親が共働きをしている関係から子供たちは親と会話する事が厳しくなります。疲れている両親の為に13〜14歳の子供達が家事をしているような状況です。そのため子供たちは親よりも携帯電話と24時間共に過ごすことになりそこで人生を学ぶようになります。

子供達はそこで学ぶ愛情や人情のゆえほとんどが中毒レベルに達していきます。それだけでなく、養父から暴力を受けるようなことも起こっています。そして街をさまよい知り合いも居ないため、簡単に罪に手を染める事になるのです。物質的には必要が満たされても実際は幸福ではないのです。」

-助けが必要な子供達ですね。

「この子供たちは韓国に来てから自分たちの人生が苦しくなったと思っています。ですから自然と韓国を好きになることが難しくなります。また口下手なハングル表現のゆえに韓国人の子供達の笑いものになってしまい、自然と移住民の子供達と付き合うようになります。子供たちのこのような心中を掃き出す事が出来る会話する相手も居ない状態で、とにかく韓国の文化や言語を教えようとする事は、まさにボタンを初めから掛け違えたのと同じ様だと思います。彼らをありのままの姿で認め愛する心が重要だと考えます。それは主の心でのみ可能だと感じています。」

移住民の最後の避難所‘教会’

-移住民たちに対する私たちの態度に何が必要でしょうか?

「移住民たちを接する時に助けてあげる事だけでは厳しいと思います。教会は韓国文化をもっと教えてあげるよりも、神様の御国の民として回復する事を目標に置いて彼らに仕えなければなりません。そうでなければ、教会が彼らの避難所となるはずがありません。ある日シリア難民が訪ねて来ました。ムスリムです。ここは子供たちに福音のみと聖書を教える場所である事を伝えましたが、しかしそれでも子供を通わせたいと言いました。最後の避難所である教会がどのような態度で臨むべきかを痛感した時間でした。」

-移住民次世代の状況をもう少し具体的に説明して下さい。

「思っているよりも深刻であります。私たちは子供たちが訪ねて来るとまず目の下を見てから服を脱がせてみます。体中が傷だらけでありました。多くの子供達がこのような状態です。ですから子供達の心自体が傷だらけなのであります。その子供達が心を開く事が出来るようにした後、神様の御言葉を伝えます。そしてヨハネによる福音書3章16節の御言葉を伝えると子供達はスポンジのように受け入れます。『神様はこのように貴方を愛して下さったのだよ。これからどう生きたいの?』と質問すれと『アーメン、私もイエス様を信じて生きたい。』と主を受け入れるのです。」

-福音が子供達を生かしているのですね。

「はい。そしてその能力が本当に必要な子供達は中学生の位の子供達です。13〜14歳の頃の子供達はすでに流産をする状況が日常茶飯事です。お互いを頼る結果このような事態が発生しているのですが、このような子供達に食べる物や心理治療が必要ないと言う事ではなく、もっと本質的に助けてあげなければならないという事なのです。十字架の福音が彼らを生かす唯一の方法なのです。福音によって生き福音によって仕える人たちが必要です。」

-とても名残惜しいのですが、最後に祈りの題目をお願いします。

「ここで過ごしながら変化していく子供たちをみる喜びはとても豊かです。子供たちと私にただ主のみが主人となる生きざまとなるよう回復の為にお祈りください。そして韓国にいる多文化の子供達が福音によって回復し、イエスキリストの証人として立ち上がり祝福の通路となる人生となるようお祈りください。」

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