‘ホームレスたちには一緒に抱いて泣いてくれる人が必要です’

Date

2016年1月4日

傷ついた人たちと共にいるソン・ギョンスン執事

ソンさんはホームレスに必要なことは福音しかないと思って彼らに近づいた。最近ではソンさんに伝道されたホームレスたちが福音の訓練過程に参加するなど信仰の歩みを具体的に歩んでいる。<編集者>

-12月の福音学校にホームレスの2人が参加したと聞きました。彼らがどのように訓練に参加するようになったのか聞きたいです。

ホームレスたちが福音の前に立つことと、一般人が福音の前に立つことは同じだと思っています。しかし周囲の人たちは違う目で見ていて、始めはおかしかったです。このすべてのことは周囲の人たちの仲介祈祷によって可能になりました。今度の訓練に参加した方たちはソウル駅で20年ほど路宿していた夫婦でした。

-訓練を受けることを決めるまでどんな過程がありましたか。

最近までも兄弟はアルコル中毒で姉妹はヘビースモーカーでタバコを沢山吸っていました。福音に出会ってからお酒を辞めることを決心しましたが、禁断症状のせいで病院に通いました。しかし絶望の中で希望を抱くように福音が彼らに命を与えてすべてに勝利するようにしてくれました。結局自分と同じ希望のないホームレスたちに仕えるために福音学校に申し込みました。福音学校を終えてから姉妹は禁煙を宣言しました。これは本当に奇跡でした。その姉妹は福音学校中でもタバコを吸っていてみずからタバコは死ぬまでやめられないと言った人でした。福音が彼らを変えました。

希望のないホームレスにお祈りをする者へと変わる

-彼らが福音学校の過程を終えてどんな変化がありましたか。

キクサクしていた夫婦のあいだが実在になった福音をお互いに分かち合いながら中がよくなりました。お互いを思う態度が確実に変わりました。彼らの人生も変わりました。いまはホームレスたちのために準備した場所に住んで、一日中御言葉を読んで賛美してこれからの主の導きを祈って準備しています。

-ホームレスのための働きをどうして始めるようになりましたか。

私がイエス様に出会ってから、福音は人生で生きることだと知りました。人生を通して主を表わすことは何だろうかと思っていた時に浮かんだのが共同体でした。神様を知るのか知らないのかに関係なく誰でも共にいたくて私のお家を開放しました。行くあてがない人は誰でも私のお家に泊まりました。私も喜んで彼らに仕えました。その中でお祈りを通して天幕を広げよというみ心をいただきました。

どのようにすればいいのか分からなくて祈っていましたが、神様が確信を下さって2月にインチョンに場所を移しました。何も思ってなくて従順した歩みだったので、自然とその次を主に聞きました。福音伝道とホームレスに仕えろというみ心をくださいました。ある日出席していた教会の週報をみたら‘ソウル駅のホームレス奉仕’という広告を見て私も参加しました。

-具体的にどのように働きましたか。

毎週火曜日と木曜日にソウル駅の広場に行って準備したおにぎりとお茶をくばりました。夏には小さな瓶に水を凍らせて床に寝ている方たちに渡しました。怪我をした人たちには薬を塗ってあげて一緒に祈りました。また東インチョンでは福音祈祷新聞を渡しながら福音を伝えました。このようにして福音を伝える時予期せぬ暴力を受けたりもします。ある時は酷い暴力にあいましたが、神様がこの働きを続くように状況を整えてくださった時もありました。

-すこしもっと説明をお願いします。

共に奉仕をしていた人が急に病院に入院したので、私がその働きを担いました。信仰の訓練も同時に始まったようで、いままでの財政の通路が全部防がれていましたが、神様が新しい通路を開いてくださいました。そしてこの働きに参加する仲間たちも送ってくださいました。転換点のようでした。始めに道を広げよと言った御言葉を思い出して福音伝道をするべきだと思いました。福音を叫ぶようになりました。そうすると渇いた人たちが寄って来ました。奇跡のような事が沢山起こりました。

福音を叫ぶと渇いた人たちが段々出てきて

-どんなことでしたか。

ある日私たちが仕えているホームレスの一人の人がアンプを買って来ました。数十年間賭博におぼれていましたが、ある時ふっと賛美を聞いて賭博から手を離して私たちに来ました。自然と交わりが始まってその人のお家で礼拝を捧げました。このころはその方のお家に行ってハングルを教えています。

-そうですか。驚きですね。

最近はソウル駅にいるホームレスのための信仰の共同体が作られたらいいなと思っています。信仰で訓練を受けて休める場所のために五人の仲間たちと一緒に祈っています。まだ何も見えませんが、すでに‘ベデスダ’という名も付けました。お祈りをすればするほど思われることは、神様が私たちに何かをさせるためにここに呼んでくださったのではなくて、私たちを主の形に作るために呼んでくださったんだと気付くようになりました。私はホームレスのために何かをやってあげられる人ではありません。しかし従う時に見せてくださる栄光のためにここにいます。

-どんな栄光ですか。

お酒と賭博が開かれている中から人たちが私に寄ってきて聞きます。‘私は罪人ですが、私も本当に救われますか’ そのように始まった交わりの後で祈ってあげると大きな粒の涙を流しながら祈ります。神様が‘町の距離と隅々へ出て行って貧しい者たちと体が不自由な人たちと盲目たちと足を怪我した人たちを連れて来なさい(ルカの福音書14:21)’といった御言葉が私たちには実在です。ホームレスに必要なものは食べ物、着ものではなくて、彼らを抱いて泣いてくれる人が必要だと気付きました。

-ソンさんがそんな心を抱くまでにどんな過程がありましたか。

私は高校の時始めて教会に行って生きている神様に出会いました。しかし青年の時教会から離れました。神様を知って見ると主の御言葉はとても清いですが、私は清く生きられないと気付きました。これに対しての回答を牧師たちに求めましたが答えを得ませんでした。びっくりすると思いますが幼い時から中学校まで2万冊の本を読むくらい知識を求めていました。

その当時は数多い神学の本を読みました。それで神学の深い内容を聞く私に答えられる人がいなかったです。清く生きられないならこの世で成功しようと思いました。その後いろんな死ぬほどの苦難を経て命の主権が主にあることと、神様が生きておられることに気付いて40歳に再び教会へ戻りました。しかしまだ御言葉が私の人生実在になってなくて悩んでいる時の2007年に総体的福音に出会って、いままで悩んでいた悩みがなくなりました。

-福音がどんな変化をもたらしましたか。

福音を聞いてもこの福音の道が険しく見えて6カ月の時間をくださいと神様に祈っていました。訓練を受けていて宣教師たちの勧誘で宣教官学校、仲介祈祷学校を1年間参加して主の臨在と御言葉が実在になる体験と恵みをいただきました。訓練を終えた時に主はクリスチャンが立つべきところは教会であると言ってくださって、教会の中で堅く立つようにしてくださいました。神様はそこで神様のみ心を知らせてくださいました。

神様の御言葉の前で自分の悲惨な罪人である存在が現れました。たとえ表では罪がなさそうでも自分の心は神様を対敵していました。心の戦争は今も激しいです。私の存在が十字架で徹底して死ななくて神様に全てをささげられないならば、決して命を流すような通路になれないと気付きました。その時に主は私の哀痛を喜ぶと分からせてくださいました。

御言葉が実在にならない絶望の末に総体的福音に出会う

-家族はソンさんの生き方について理解していますか。

私には息子二人がいます。神様を会う前の夫とは子供たちが幼かった時に離婚して、一人で子供たちを養育しながら子供たちとはよく会話をしていました。私が主に会ってからはいつも福音を分け合っています。それで私の子供たちは私の心と事情をよく分かっています。私が訓練学校に参加するために会社を辞めないといけなかった状況になった時にも子供たちと相談しました。

私の家庭で私が有一な財政の通路だったのにもかかわらず、子供たちは主の導きならば最後まで従いなさいと言ってくれました。そのおかげで子供たちもその期間財政的に戦いましたが、信仰の道を共に歩んでくれた子供たちに感謝しています。

▶ 서울역에서 머무르는 노숙인들의 모습.
ソウル駅のホームレスの姿

-子供たちもよい信仰を持っていますね。

二人も青少年福音集会に参加しました。帰ってきて長男は、自分が主の前でどんなに無益な存在であるのかよく分かったと告白しました。

福音が子供たちをかえったことが目に見えました。いまは子供たちに岩のような信仰を与えるためなのかアルバイトも全部やめた状態です。私も共に子供たちと信仰で戦うなかでこんなみ心をいただきました。

今までは信仰をもって財政のために祈って奇跡的に受け取っていました。また時には職場で稼いでいたりしました。しかし今度は‘できるがやらない戦いをしてみろ’と言ってくださっています。人がバンだけでいきるのではなく、ただ主の御言葉によっていきるという御言葉をいただいています。責任感を命のように思っていた私には本当に大変な時間ですが、この試験を通過して主の栄光を見たいです。それでも現実は険しいです(笑)。

-ホームレスに仕えていて主からのいただいたみ心があると思いますが、この地に大変な思いをしている方たちに必ず必要なものは何だと思いますか。

全ての人たちに必要なものは福音です。ホームレスに仕えていますが、彼らのこころを開くのは私ではなく聖霊様です。私がこの世のどんなに美しい言葉で伝えたとしても、彼らが慰められるでしょうか。主の恵みによって慰められたり、挑戦をうけたりもしています。

ある時彼らの本音を聞きました。絶望の深さがすごいです。ソウル駅で住んでいるホームレスの人たちはソウル駅を地獄の沼だと言っています。一度堕ちると抜け出せないところだそうです。その言葉を聞いて心が痛みました。しかし私は沼のようなところで歩いている主を見ました。数多い人たちが無関心に行き来している時に主はホームレスの隣で彼らと共に食べて歩んでいました。

-お祈りの課題を教えてください。

私は神様が全部である人生を生きたいです。一生私の心の中心に主より上に置くものがないように祈ってください。そして働きを通して私が表にでないで主だけが表れて主のために喜べるように祈ってください。最後にソウル駅の中に信仰の共同体が立てられて多くのホームレスの人たちが主に出会いますように祈ってください。[GNPNEWS]

S.Y.

Morepost

Contact Us

このフォームに入力するには、ブラウザーで JavaScript を有効にしてください。