作家:マセル・ブロムホル(Marshall Broomhall)/ ウィンシペイ(黃錫培) | 2014
1900年中国で起こった反外国運動である‘義和団事件’は当時多くの人たちを死に至らせた。特に神様の民たち、宣教師たちが犠牲になった。
この本は当時中国内陸での宣教の必要性を感じて、大陸の真ん中で福音を伝えていた中国内地宣教会の所属の宣教師たちに対してのお話である。当時残酷に殺された状況を記録した日記と本部と家族たちに送られた手紙らを再構成したものである。
ヘブリ人への手紙での告白のように彼らは‘信仰で’生きたり死んだりしていた。生れてから一日で親と共に天国に行った名も知らない新生児殉教者、親のお呼びに従って来た中国で迫害者たちによって残酷に殺された幼い子供たちの記録を読む時はなんとも言えない気持ちだった。
12歳で主の胸に抱かれたピゴト牧師の息子ウィリアムは英国での最後の休み中にお友たちにこの様に言っていた。‘英国では殉教師になれないが、お父さん、お母さんと私は中国の地で殉教師になれるかもしれない’ 彼の告白のようにその年中国で両親と一緒に天国にいった。
死んでいく時までも中国を愛していたホレイス・ピッキン宣教師は妻に送った手紙で、息子あてに遺言を残した。‘お父さんの最後の望みは息子が25歳になった時、中国に宣教師として来ることだと伝えてください。’
義和団は特に西洋の女性たちにも例外なく残酷で悪辣に扱った。このような知らせが聞こえる中、エバ婦人は信仰の告白を残した。‘ただ主だけを信頼する中でも心臓は止まりそうで、どんなに勇敢に静めようとしても震える膝と足はどうしようもない。しかし私たちは主を信じる。何があっても私たちは主を信頼する。’
迫害の恐怖にもかかわらず、全然動揺しないで向き合える強い戦士たちがいったのではない。彼らを導く主を信じる信仰と中国を愛する神様のみ心が彼らを勝利へと導いてくれた。独身だったプラシス・ネイスン宣教師の最後の手紙はこのように記録されていた。‘彼らの間違えにもかかわらず、彼らを愛してしまったから。本当に私たちにとって大事な人たちです。そうでないですか。’、‘彼らを愛しています’
教会の勝利は聖徒たちの墓を踏んでえられる。
真理が命になって現れた愛はこんな迫害の中でも新しいイエス様の命を産んだ。彼らの中には洗礼を受けたばかりの人たちもいて、自分たちの信仰を告白して死んだ中国人の聖徒たちもいた。宣教師たちと共に殉教した数千人の中国聖徒たち。義和団は中国聖徒たちに宣教師たちが流した血を飲ませて殺したこともあった。今日中国で起きた命の復興はつまりその地にまかれた殉教者たちの血の実である。
義和団事件が終結されてからの中国内地宣教会の表明は中国大陸に驚きをもたらせた。当時中国内地宣教会の総裁だったD.E.ホストは宣教会が負った損失に対して何の補償もうけないと表明した。これに対してある中国人の管理はこのようにのべた。‘これは宣教師たちが人民の福祉のために自分たちの権利を諦めることで、イエス・キリストの教訓に従っていることを全ての人たちに知らせるためである’
読んでまた読んで・・・切なくて美しい勝利の歓声である。神様を裏切ったこの世を愛する十字架の愛のお話である。多くの人たちが‘どうしてそこに行ったの? 人生を浪費したんじゃない?’と言うかもしれない。しかし教会の勝利は聖徒たちの墓を踏んで得られる。
今日も世界の所々で教会の勝利のためにイエス・キリストの血がまかれている。また‘私が誰を送って、誰が私たちのためにいくのか。’と声かけている。
義和団事件の一年後、ホドソン・テイラはこのように祈った。‘主よ、私の主より大事なものは何もありません。私たちの器を主の足の下で注ぎ流せるようにしてください!’[GNPNEWS]
ソン・ミギョン宣教師