私が回復してから家庭が回復していたので、この世も回復するでしょう。

Date

2015-12-01

主の愛におぼれたヨン・ヒョンジュ執事

彼女は5歳の時に親の離婚によって寺に送られた。しかし寺の事情によって小学校4年生の時に再びお父さんへ戻された。その当時お父さんは離婚のことを告げずに再婚していた状況だった。継母の自殺未遂、親戚の家を転々としていてあらゆる暴力と迫害は幼い少女に重荷だった。

–主にどのように会いましたか。

10年前に私は知り合いの人と寺の宗教院を開こうと準備していました。私が幼かった時、寺にいたのでとても当然なことでした。しかしその時近隣に住んでいる知人がずっと伝道してきて私に教会に一緒に行こうと言いました。沢山勧められていたので、続けて断るのが申し訳なくて一日だけ教会に行くと返事しました。当然信じる気はなかったです。小さい教会の一番前の席に座って賛美を聞いていて、自分も気付かないのに自然と賛美を歌って泣いていました。私はなぜ泣いているのか。恥ずかしくて教会の外へ出ても涙が止まりませんでした。しかし席に戻ると再び涙があふれました。そんな私の手を知人が握って言いました。

 ‘泣いていいよ、始めは皆そうなのよ。’その時から大泣きしました。主がその日に私に会ってくださいました。その後御言葉が信じられる恵みをいただきました。毎日夢のような時間でした。いまになって主に出会ったのが悔しいほどでした。共に寺の宗教院を準備していた知り合いの人にこれからはイエス様を信じましょうと言いました。私はそのように主に帰って来ました。

始めて行った教会で涙溢れる

-主に会ってからの人生はどんな時間でしたか。

中が悪かった義理のお母さんとの関係が回復して、一生偶像崇拝をしていたお母さんがついに教会に通うようになりました。そして夫も教会に行きました。その過程は大変でした。私が教会に通うようになってから夫はお酒も沢山飲んで夜中遅く帰宅することが多くなりました。教会に行くと天国であるが、お家に帰ると地獄のようでした。しかし御言葉に従いました。

その中ある日、イエス様が弟子たちの足を洗ったという御言葉を読みました。私もそうしないといけないと思って、その日夫の足を洗いました。夫は私がその時に戸惑います。またある日はコリントへの第一の手紙でバウルが結婚しないで一人でいるのがよいと言った御言葉を読んで、‘あ、これだ!’と思いました。イエス様を信じた私は新しい人生を生きるべきなのに、夫はいまだにこの世に属していると思われました。

‘なぜイエス様を信じないですか’と伝道に情熱

-何と言いましたか。

夫に言いました。‘私が本当にごめんね。すべての反対を押し寄せて私と結婚してくれたのに、私が神様を信じてみるとこのように生きるのはいけないと思う。私は新しい人生をいきようとしているのであなたと別れたいの。’私は本気でした。しかし急に夫が座り込みました。‘私を助けてくれ。私も何でこうなのか分からないから。そして教会に通ってそんなにいい人生があるならば、私にも一緒に行くようにと言わないといけないでしょう。どうして別れようというの?’このことがあってから夫と共に教会に通うようになりました。私はもっと熱心に信仰生活をしました。

-教会での生活はどうでしたか。

毎日伝道をしました。たとえ悪口を言われても全然気にしませんでした。逆にどうしてイエスさまを信じないのかと堂々と伝道しました。不思議にも伝道をすると人たちが教会に来ました。牧師さんにはもっと多くの人たちに来られるように教会に広告用カードを貼るように言ったり、有名な牧師さんたちに手紙を送って集会をしてくれるようにと講義要請をしたりもしました。

教会に対してよく分かっていなかったです。しかし開拓教会で積極的だった私の姿は他の聖徒たちを苦しめました。それでも神様を愛しているのに静かにはいられなかったです。それで大きな教会へ移しました。

-熱い情熱のせいで周囲の人たちも少し大変だったんですね。

過ぎてみれば福音に対してよく分かっていなかったので大変でした。私は自分の過去に対していつも劣等感を持っていました。小学校6年生の時に寮がある工場で働きました。中学校への進学はできないまま共に生活していた先輩たちと悪道へ入りました。

イエス様に出会ってから過去の過ちを挽回しようと本当に一所懸命教会で奉仕しました。人からの賞賛とよい評価で幸せでしたが、段々渇き始めました。神様を魔術ランプのように思っていて自分の足りなさを満たす道具に思っていました。そのころ新しい教会で出会ったある聖徒さんの生き方を見て挑戦を受けました。その人は私とは違いました。その人を変えていまも導く福音に対して聞くようになって、その福音を知りたいと願いました。結局2011年5泊6日間の訓練過程を通して、私の存在が福音にぶつかりました。

-福音に存在がぶつかったとはどんな意味ですか。

一週間福音の真理を聞いて私の存在が罪そのものだと気付きました。もっと絶望的だったことは、私がその罪を解決できないということでした。しかしそれを神様のみ子、イエス・キリストが私と共に死んで再びよみがえった十字架で完全に解決したという事実がとてもうれしくて感謝でした。恥で染めていた罪人である私が死んだという事実をお家に帰ってきて夫に分かち合って、これからは夫に従順しますと告白しました。

夫は戸惑いながら‘あ・・苦労したね’一語を言って急に部屋へ入りました。どんなに衝撃だったかよく分かっています。私の過去を知ると夫を失うかもしれないと恐れていました。しかし私を救ってくれた福音をいうためには私の過去を言うしかなかったです。そのように福音の前に立つと私が回復して、家庭が回復して、家庭が回復するとこの世が回復するとの心をいただきました。それで始めたのがホームスクールでした。

-ホームスクールはどんな点が一番有益だと思いますか。

ホームスクールを始めて子供と続けて家にいますが、思春期がはじまると耐えられるか心配でした。実は私はちゃんとした養育をうけていなかったので、もっと心配になりました。それで周囲の先輩たちに聞きました。そうするとみんな同じ反応でした。思春期を知らないほど大変ではなかったそうでした。

全ての子供たちが少しの抵抗はありましたが、親が深刻に感じられないほどでした。最近は3-4年生になっても親と目を会わせなくて会話も難しくなります。しかしホームスクールをした子供たちは感情的な衝突はあっても親とも絶えず会話をしてきたので問題になりません。

re_126_5_2 interview2児童保護機関調査員の一語、‘うらやましいホームスクールですね’

-大変なところはなかったですか。

私たちがホームスクールを始めてから児童保護機関から調査のために調査員が来ました。学校からの申告があったらしいです。面談過程を通して信仰人として子供の教育をどのようにしているのか十分に説明して学校に教育計画書を出しました。調査員が来た時、いろいろと戸惑いましたが、全て主を信じて主の導きを祈りました。

調査員は私と子供別々に40分ずつ話を終えて言いました。‘このようによいホームスクールだったらとてもうらやましいです。他の子供たちもこのように習えばいいですね’ 私もこのきっかけでホームスクールの理由と目的に対して明確に整理できました。

 ‘福音を抱く者としてこの世と適当に妥協して生きることはできません。’

-1年になるホームスクールを通して神様が注いでくださった恵みはありますか。

娘はお家でも黙想やお祈りをよくやりました。教会の集まりや仲介祈祷会では自分にとっての福音を語って教会の聖徒たちにいつも褒められていました。しかし信仰訓練過程である光の実の学校ではチームの雰囲気を邪魔にする行動をとったらしいです。それで娘の髪を短く切りました。娘にとって自慢の髪でした。娘とイザヤ書をと共に読んでお祈りをして、主の恵みを願いました。主は何を間違っていたのか気付かせてくださいました。

-終わりにお祈りの課題を教えてください。

ホームスクールをしていて子供を主が養育してくださっていることに確信しました。私の実力は満たしていませんが、私の弱さを通して子供と私を御言葉で導いてくださっています。周囲の人たちがホームスクールに関して聞いてくると、自然と福音を分かち合っています。

コリントへの第二の手紙4章のみ言葉のように、私は壊れて主だけを現す人生を生きたいです。そして私たちの家庭の中にある福音をこの世の端まで流れだす通路として夫、私、子供たちの中に福音だけが全てになるようにと願っています。

[GNPNEWS]

Y.K.

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