お祈りの場で見える私の実体・・・唯一な希望は十字架

Date

2015年10月10日

ウクライナで連合祈祷チームとして仕えていた全マンギュ宣教師が9月に一週間ネヘミヤ52祈祷を現地のノバヤジヤ教会の聖徒たちと共にした。参加した聖徒たちは豊かな恵みの時間だったと伝えた。お祈りに参加したチラス兄弟のネヘミヤ52の証を紹介する。<編集者>

一週間のネヘミヤ52祈祷に参加するためにルボブ(Lviv)からウズゴロド(Uzhgorod)までの道で3度の交通事故を目撃した。主に安全を守ってくださるように祈った。主が彼を安全に導いてくださった。

祈る初日。お祈りの表に自分の名を書いた。衝撃だった。なぜなら今まで生きてきてこんなに多くの時間に祈ってきたことがなかったからである。御言葉、祈祷、分かち合い、また御言葉、祈祷・・・。私は初日がとても大変だった。心の中で葛藤があった。はたして3日間耐えられるのか。

私は以前運動選手だった。いろんな大変な訓練を多く受けていたが、ここで行われているのは、以前一日3回ずつ受けていた訓練にも大変に感じられた。体と魂がとても疲れて起き上ることすら辛かった。しかし兄弟姉妹の祈る姿を見て力を得て、再びお祈りの場へ進んだ。

迫害されている聖徒たちの姿に衝撃 

私は今までお祈りはとても重要であり、かならず必要なことだと言ってきた。しかし実際は違っていた。忙しい仕事が生じると、お祈りよりも仕事を解決することが先だった。祈っていて自分の人生の矛盾が再整理できた。特別に私は他の国で迫害されているクリスチャンたちに対して聞いていたが関心はなかった。

しかし祈っていて見るようになった彼らの姿はとても衝撃だった。数多くの信仰の兄弟と姉妹がイエス様の名のために死んでいた。私の心が動いた。もっと深く知りたくなった。宇宙的教会がどのように回っているのかが知りたかった。今まで他国人の宣教師とは交際がなかったが、共に祈っている中で韓国から来た宣教師らがウクライナと私たちの教会のために祈っている姿を見て感動した。

彼らの働きは無駄な苦労には見えなかった。彼らの中には命があった。その命を得るためには十字架の道しかないと知った。ネヘミヤ52祈祷に参加する間に十字架、十字架だけが耳に聞こえた。

始めは少し負担があったが、十字架の中にどんなに多くの恵みがあるのかを知った。そして十字架の場だけで主がご自分を見せてくださることも知った。私と教会を見て、その十字架に向けての熱情が足りなかったと思った。

祈っていろんな御言葉を読んだ。終末になると人たちは自分を愛してお金を愛するようになる。敬虔の姿はあるが、敬虔の能力はない人たち。主を口では認めるが行為では否認する憎らしい人たちが現れる。衝撃だった。

なぜならばその人たちから自分が見えたからである。表では何の問題もないように集まって祈っているが、私に敬虔の能力がない事実に気付いた。その能力する方法は十字架しかなかった。そこで始まる新しい人生以外にはなかった。

いま私の願いはルボブ(Lviv)の家に帰ってきても十字架の恵みを忘れないことである。勿論職場と家庭が会って24時間祈れないが、私の人生の柱のようにお祈りで一日を始めることに決めた。妻と共にネヘミヤ52祈祷をしようと思っている。

いままで私はお祈りの能力を無視した。しかしどのように主がお祈りによって家庭を回復するのかに対しての証を聞いたときに、私も祈ると主が働いてくださると信じた。私たちはどんなに熱心に働いてもその結果は微弱である。

いまやっと信仰をもって祈ると山が動くという御言葉の意味が分かった。私の状況ではなく、ただ信仰をもってお祈りの場で主の栄光を見ることを期待している。[GNPNEWS]

タラス兄弟(ノバヤジヤ教会)
翻訳. アンドレイ兄弟

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