従順の人生を選んだガン・ウルス長老
慈愛に満ちた顔から年月の風雪が感じられる。若い時だれもが望んでいた人生の成功人生を生きてきたガン長老。
しかし罪悪の束縛から抜け出せなかった彼がある日福音に出会った。今は家庭と教会のだれも、彼の主に対しての情熱を妨げない。主が望むならば、主の国と復興のために全人生を捧げたい彼の告白を聞いてみた。<編集者>
–始めて信仰生活を始めたのはいつからですか。
2002年の春でした。体が痛くて病院で検査をうけているとの妻の電話をもらいました。職場ですぐ病院へかけ付きました。診断の結果、大腸ガンでした。手術はしましたが、私のせいで妻が病気になったと思って申し訳なかったです。
私は皆同じく生きると思って結婚後不倫もしていて、よい職場でよい給料を渡していると高慢になって暴言を沢山言いました。そんな罪悪感で妻のために何かしてあげられることがないのかと思って、昇天祈祷会に行くことにしました。いままでも犯した罪を挽回しようと教会で奉仕もしました。
以前から妻が頻繁にいっていましたが、私は愚かな人でした。この世がよいと拒んできました。思ってみると妻を通して主はずっと私を呼んでくださっていたのに、結局妻の病気を通して主の前に立つようになりました。
–本格的に信仰生活が始まったんですね。
長老として任命されて、信仰のよい長老になりたくて伝道にも熱心でした。しかし主のみ心は無視していて、自分の権威を出して人たちをむりやり教会に連れてこようとしました。その過程を経て、伝えないといけない福音が私の中にはないと気付きました。その中2011年末に総体的福音に出会う恵みをいただきました。
–どんな恵みでしたか。
十字架の福音を聞いて、私は死んでイエス生命として生きることが衝撃でした。何カ月をぼっとしていました。どうやって生きるべきなのか悩む間、信仰でいきることはガラテヤ人への手紙2章20節のみ言葉のように、私を主に捧げる人生だという結論にいたりました。
私は自分が賢くて成功したと思っていました。神様を信じていると言いながらも、神様とは全然関係ない人生を生きていました。そんな私に主と共に死んで生きていることは福音でした。福音だけで十分でした。遅い年ではありますが、もっと福音のように生きたくて宣教団体でいろんな訓練をうけました。
–どんな訓練でしたか。
宣教と祈祷訓練をうけました。訓練学校を終了すると自然と福音の人生を生きられると思いました。しかしそれは間違いでした。どんなに愚かで遅いのか、主は私にすこしずつ恵みを気付かせてくださいました。
訓練をうけながら本当に主だけを信じて生きる人たちを始めて会いました。この地で再び来られる主を待ち望んでいる証人たちを見て、私も共に望むようになりました。年取って不可能なことではなく、本当に生きている神様を信じていきることが可能でありました。アウトリーチを通して主の御恵みを沢山経験しました。
–アウトリーチでどんな恵みをいただきましたか。
まずミヤンマへアウトリーチにいきました。始めての海外アウトリーチを決めた時、老人の私が一緒にいくと人たちに迷惑をかけるのではないかと心配しました。しかし宣教は若さと体でできることではないと気付きました。
ミヤンマを始めて見た瞬間重苦しさが寄せてきました。多くの偶像たちはそこで働いている宣教師さんたちの働きでもけっして崩れないような気がしました。私たちが出来ることは祈祷しかなかったです。
–どのように祈祷の場で宣教をなし遂げる主に会えましたか。
宣教に対していつも急ぐ気持ちがありました。年があるので私に残された時間が少ししかないと思っていました。それで主の国に何か協力したいと思って熱心でした。今思うとあてこともないことでした。全能なる主の前で私が出来ることがあったんですかね。
しかし宣教地へ出るまでお祈りの場にいて、やっと私が出来るのはお祈りしかないと気付きました。主が成し遂げると信じて祈ると宣教は主が働くことでした。お祈りが霊的武器であり、主の戦略だと気付きました。アウトリーチ以来教会に帰ってきて私ができること、それはお祈りでした。
–どのように祈ったのか聞きたいです。
2012年10月。教会で一週間24時間休まず世界のための祈祷会を開きました。定期的に行おうとしましたがすぐ止まりました。このお祈り会が再開できるよう祈っている中、今年牧師に提案しました。すぐ了解していただいて、一カ月で一度12時間ずつ世界のためのお祈り会が始まりました。少ない人数ですが、共に祈る方たちは多くの恵みをいただいたと言いました。
祈祷会に参加する人がいない時には辛くて落胆になりますが、御言葉とお祈りで自分が変わらないと希望はないと思いました。聖徒たちが主のみ心をいだいて祈祷会へと出るまで、私を使わしてくれるように願っています。
–従順の歩みが本当に感動的です。そんな時間を主はどのように導いてくださったのか聞かせてください。
神様は私にまたも機会をくださいました。2012年から教会で海外宣教部長に任命してくださいました。何も知りませんが、祈っていけば大丈夫だと牧師先生が言っていたので従順しました。一旦世界地図を買って貼って、宣教ニュースとお祈りの課題をもらって宣教師たちのための祈祷情報集を作って広告し、共に祈り始めました。
宣教地にいる宣教師たちに電話して祈祷課題を聞いてみましたが、始めは大変でした。宣教師たちは長く続かないと思われていたようです。しかし今は喜んでいろんな話をしてくれています。
–海外にいる宣教師たちに大きな力と慰労になったでしょうね。
はい。神様が私たちを通して宣教師たちにプレゼントを贈ったこともあります。お祈りの中、宣教師たちの両親を慰労したいと思いました。子供の主のご召しを理解していない親の気持ち、一人になっている方たち、病気で不自由な親たちの近くにいない子供である宣教師たちの代わりに、小さなプレゼントと慰労の手紙を送ることになりました。
主が喜ぶことだと確信しました。ある両親はうれしくて私たちの教会まで訪ねて来たり、ある宣教師は10年間宣教してきましたがこんな慰労は始めてだと感謝を言いました。
–海外の宣教部に仕えて他にも恵まれたことがありますか。
宣教訓練を受ける機会がなくて、聖徒たちに宣教に対しての心を教えたくて去年には教会内で訓練過程を開設しました。日曜日の午後に二時間くらい7週間行いました。宣教師たちを招待してメッセジ―を聞いて主のみ心を抱いて祈る時間を持ちました。学校を開くのはたやすいことではなかったです。教会の行事と重なるともっと小人数でした。それでも神様は神様の働きを真実に成し遂げました。
アウトリーチまですべての過程を終えて、二人の青年が続けて宣教訓練をうけて従順の歩みへと進みました。今年は壮年を対象に海外アウトリーチのために祈っていますが、宣教なさる神様と共に栄光の道を歩む聖徒たちの献身が続くことを期待しています。主の国に献身することがどんなに美しいことであるのか、福音の証人たちに会って知りました。
–どんな美しい話ですか。
沢山の生きた証人たちに出会いました。ガン宣告された人がお家で死ぬと単純に病死であるが、祈っている中で死ぬと殉教だといって勇敢にアウトリーチに参加した人。毎日テロが起こっている国へ防弾服を着て主の呼びかけに従順した人。病気でも宣教地へと発つ牧師家庭。若い年で宣教師として献身して休まず走っている信仰の仲間たちを見ると感動します。
イエスの生命を持つ人は神様に対してもえる愛で楽に死ねないだろう。私たちのからだが全部消滅するくらい主に仕えて主の前に立ちたいと思います。
そして若者たちと共に気を合わせることは主が私にくださる特権です。若い人たちと一緒にいると以前の自分が思い出してもっと祈るようになります。この国の未来が彼らにかかっています。信仰と祈祷でいきると決めた青年たちをみるとうれしいです。もっと多くの青年たちが起き上がるよう、祈ります。
–これからのご計画と祈祷課題がありますか。
たまに聖徒たちが‘ガン長老、大変じゃないの?’と聞きます。このように生きるのが大変ではないのかと聞いています。しかし主はこんな私をじっとみつめているようです。私の情熱が冷めるのかどうか、信仰で最後まで走れるのかと。
私の家族も私のこんな生き方を反対はしないが、支持することでもないです。しかし私が主に行った時みんなは分かるでしょう。信仰で主に従う人生だったと。私には主のみ言葉が信じられます。奇跡です。論理では説明できない神様の恵みにただ感謝をささげます。私のような年寄りが主にどのくらい仕えるでしょうか。しかし主は私を最後まで離さなかったです。この恵みの中で生きていて、主に会えるようになりたいです。主の前では若者のように、主に会えるまで進めることができますよう、祈ってください。[GNPNEWS]
S.A.