今は私が天の国の市民であることを知っています。

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天の国を夢見て旅人として仕えているホ・ヘレナ伝道師

旧ソ連で高麗人として生れて韓国を恋していた。アイデンティティーの混乱で彷徨う中で出席した教会で偶然韓国へ来るようになったホ・エレナ。そして10年がたって彼女は伝道師になって、ロシア地域出身の移住民たちに仕える伝道師へと変わった。

歯科医者として働いていたが、いまは主のしもべになって一歩一歩歩んでいる一人の旅人を紹介する。<編集者>

–自己紹介をお願いします。

私は高麗人4世として旧ソ連で生まれました。現在ウズベキスタン地域です。だれか故郷がどこなのかと聞くといつもすぐ答えられないです。いまはなくなっているからです。幼い時にはウズベックで過ごしました。高校卒業後、いまのロシアにある医科大に進学しました。しかし大学入学通知をもらってすぐ旧ソ連が崩壊しました。

激動の時代でした。各共和国が独立を宣言することで、私の国籍は私が過ごしていたロシアに、親の国籍はウズベックになりました。勉強を続けないといけなかったので、ロシアで住んで勉強して就職もしました。しかし7年間のそこでの生活はとても大変でした。

–何が大変でしたか

人種差別です。ロシア、それに私がいたノボシビリスクではアジア人がいなかったです。全部白人だけいるような世界でどこに行ってもアジア人は私一人だけでした。大衆交通に乗っても皆私をみていて、自分の国に帰りなさいと叫んでいました。それも毎日です。

どんなに委縮して寂しくて辛かったか知りません。幼い時そんなに自負心を持っていた高麗人のアイデンティティーが崩れて、自分が高麗人で生れたことが本当に嫌でした。その時から人生の彷徨いが始まったような気がします。

人種差別で高麗人としてのアイデンティティーが崩れて

–本当に辛い時間を過ごしていたんですね。

当時何の希望もありませんでした。その中偶然知り合った人を通して韓国の宣教師がいる教会に行くようになりました。一旦教会に行くと話せる人に会えるのがうれしくて信仰もないのに通いました。そのおかげで学校の勉強も無事に終えて、ブラディボストックにある国立病院に就職するようになりました。

–専門医療人としての人生が始まりましたね。

あたえられた人生を熱心に生きると大きくて偉大な事が自分に起こる気がしました。それで勉強も熱心にして医者生活も熱心にして歯科課長までなりました。しかし自分の中に何か不足しているようでした。心の片隅に満たされない渇きがいつもありました。しかしその理由はわかりません。

ノボシビリスクでそうであったように、ここでも教会に通っていましたが寂しくて、通っていた教会では何の解決策も見つかりませんでした。その中ある日韓国で開かれたCIS(独立国家連合)教会リーダ訓練に参加しました。ついに2000年度に私の国、韓国の地を始めて踏むようになりました。

–そのころ韓国語がわかりましたか。

その時は韓国語が全然できませんでした。母国語でしたが知らないから恥かしかったです。高麗人としての自負心を持っていましたが、ここでも私は韓国人にはなりませんでした。ロシアでも異邦人として生きてきたのに、結局韓国でも私は異邦人でした。

韓国語を学ばないといけないんだと切実でした。その時に会場にいる人たちが目に入りました。普通は情けないと思っていた信仰人たちのその信仰がすごそうに見えて、私も神様に対して知って信じていきたいと思いました。それで留学を決めました。

–韓国での留学生活はどうでしたか。

神様が導いてくださらないと一日も生きていけない時間の連続でした。韓国に来る時の財政は飛行機代と学費、寮と食費を除いては残っていなかったです。これから韓国で過ごさないといけない時間は9カ月も残っているのに、目が真っ黒でした。誰にも期待できる人はいなかったです。

楽に生きられるのに、なんで苦労をしているのかと家族は反対でした。わたしが依頼できるのは神様しかいなかったです。切実だったので昇天祈祷会に参加しました。韓国語の説教は分からなかったので、ただ祈るしかなかったです。しかしその時私を導く主のみ手を経験しました。交通費がなくて歩きでしたが、心の中は喜びがたえなかったです。

ある日神様がアルバイトをゆるしてくださって小さい財政でしたが9カ月を御恵みによって過ごすようになりました。その以来神様の導きによって、医学勉強もできました。なにもない私には奇跡のようなことでした。段々うまくいくようでしたが、人生の危機はその時訪れました。

神様をもっと知りたいです

–危機は機会でもありますね。

望んでいた勉強もして博士過程をして研究費と生活費をもらって、財政的には豊かでした。私が望んでいたことを全部得ましたが、全然幸せではありませんでした。熱心に生きていて全てを成し遂げると自分の人生が変わると思っていました。しかし期待するほど人生は変わらなくて、空虚感が押し寄せて鬱になりました。

人生の希望がなくて、生きるよりは死ぬ方がましだと思いました。ある日は昇天祈祷会で、どうして私にこんなことが起こるのかと主に聞きました。神様が生きていれば、主に会えるようにしてくださるよう毎日泣いて祈りました。しかし主は私に会ってくださいました。

–主がもっと待ち望んでいた時間でしたね。

そうです。ある日切なる気持ちで集会に参加しました。説教が終わって最後の順で聖餐式がありましたが、主がそのとき十字架にかかられたイエス様を思い出すようにしてくださいました。イエス様の手と足に釘を打った人が自分であることに気付きました。すごく泣きました。

神様に出会って主をもっと知りたくなって聖書を読みました。神様を知れば知るほど、主に自分の人生を捧げないといけないと思われました。その中イザヤ書61章1節をくださいました。この地に住んでいる外国人に仕えるこころが与えられました。しかし従順の歩みまではいろんな過程が必要でした。

–十字架の意味に気付く過程でしたね。

その時が博士過程の2年目でした。もし主のお声に従う道をいくならば、勉強は諦めないといけなかったです。諦めたくない気持ちで医者を続けていても主の働きができるのではないかといろいろと思っていましたが、主はただ一つだけの心をくださいました。

この地に移住民のための宣教師としてのご召し。神様のみ言葉に従うことに決めて、どんな方法で仕えるのかを祈り始めました。その中知り合いの人からある教会のロシア語礼拝のリーダとして呼ばれました。ただ昇天礼拝を熱心に参加している理由でした。感謝をもって通訳で仕えると言って、本格的に従順の歩みを歩き出しました。

しかし喜びも間もなく、教会の聖徒との関係の問題で教会に仕えることが難しくなりました。知って見ると文化の差だったのに、その時は何が問題であったのかよくわかりませんでした。お互いに文化が違うので、言う方式と受け入れる方式が多く違いました。結局誤解が積もって二人の感情の溝は深くなりました。ついに教会を出るようになりました、共に礼拝をささげていた聖徒たちも共に出るようになりました。そのことが予想とは違って自分の足をひっぱりました。

–大変な時間でしたね。

仕えていた教会の聖徒たちを置いて出ることも、主に責任を果たしていなくて申し訳ない気持ちになりました。しかし聖徒たちが共に出てしまって教会にも本当に申し訳なかったです。しかしそれよりもっと大変だったのは、共に出た人たちが私たちだけで礼拝をささげようと言いだしたことです。牧師もいないのに礼拝をささげられるのかと拒みました。しかし主が私の羊を養いなさいという御言葉をつづけてくださいました。

結局この状態で礼拝はささげられないと思って、神学へ進学することを決めて神学校へ進学しました。神様がある場所を許してくださって偶然と他のロシア礼拝チームと連合して教会がもっと成長しました。教会が大きくなるのをみて、これ以上逃げられないと思いました。神様の完全な導きでした。

移住民に仕えていて教会を開拓する

–教会はいまどんな姿ですか。

私たちの教会は大部分が移住民の労働者たちです。私が経験したように、韓国の文化になれなくて、言葉も通じないから一方的に誤解されて傷つけられた人たちが大部分です。そんな聖徒たちに会うと、福音の中で自由を得て平安が与えられるよう祈っています。しかし最近教会で4泊5日間十字架と福音の真理を聞いて、その福音が自分自身に実在になるよう訓練する時間を持つようになりました。

死んだ場から十字架へ進む悔い改め

全ての聖徒たちが神様の子らしい人生をいけると思いました。皆十字架で以前の自我が死んだと宣布しました。しかし私の予想ははずれました。その後にも変わらず、以前の自我で反応して喧嘩する聖徒たちの姿を見ました。とてもがっかりしましたが、変わった一つの姿のために希望が持てました。

聖徒たちがお互いに以前の自我の姿が現される時に、真理を言って下げるとすぐ認めて自己が死んだ十字架へと進む悔い改めをしました。信仰で生きることが私たちの能力では不可能であることに気付いて、主の御恵みがないと私たちは希望がないと結論つけました。

–これからの計画と祈祷課題はありますか。

私がなぜ高麗人として生まれたのか、それも韓国ではなく、ロシア語を母国語として使う旧ソ連で生れたのかいつも気になっていました。しかし今は分かっています。私はロシア人でも、韓国人でもない天の国の市民であることを。神様がこれに気付かせるためにどこへも籍がないように私をロシア系高麗人として生れるようにしてくださいました。そしてこの地で私のような旅人の人生を生きる人たちに本当の故郷を紹介できるように呼んでくださいました。

私はこの地の旅人を愛して苦しみをうけている移住民たちの慰めであり、救いであるイエス様を伝えることに最後まで従順していきたいです。この地の移住民たちが皆イエス様に出会って本国へ帰る時、宣教師として送られるように祈ってください。[GNPNEWS]
Y.K.

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