哲学とは知ることを愛するとのキリス語‘ピロソピア(philosophia)’から由来します。漢字では明らかにするという哲、学ぶという学を意味しています。
歴史以来に多くの人たちが真理を求めて哲学という学問を作りました。しかし誰も彼ら自らの研究と談論で‘これが真理である’と発見したひとはいません。多くの哲学者たちは自分たちの知恵と可能性で、彼らが夢見る理想的な世界を作ってみようとしました。
しかし人の努力は虐殺、人種掃除、淫乱、拷問、抑圧、戦争などで表す人の悪の本性と現状の前で無力に崩れていました。人間は罪人である本性から逃れてみようとすべての知恵を総動員してみます。しかし根本的な問題解決は人間としては不可能であると気づきます。
太陽が昇っている、灯火を消そう
中国の哲学者であるイムオダンはすべての宗教を学んだ人です。彼は人生の終末に生きている主に出会って、自分の悟りをこのように表現しています。‘東に太陽が昇っている、灯火を消そう’
光明な世を見つけるために影を触っていたが、真理そのものである太陽が昇ることをみるようになったのです。この世を照らす太陽が存在しているのに、どんな灯火がひつようなのかと問い返します。
多くの人たちが自分の知恵と考えで彼らの理想の世界を夢見ています。現実の罪悪と汚さを拒否して、いろんな合理的な社会制度とか人間の知恵が世界を正せると期待しています。
しかしその考えが発展して弁論が繰り替えされると、そんな世はただ夢にすぎないことを彼ら自ら気づくようになるだけです。
“あなた方は空しいだましごとの哲学で、ひとのとりこにされないように気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言い伝えに基くものにすぎない。(コロサイ人への手紙 2:8)”
“この世は自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは神の知恵にかなっている。(고린도전서 1:21)”
哲学で夢見る世界はただ理論にすぎないです。哲学としては真理の片鱗を発見できないが、私たちの罪である本性を変えることができません。[GNPNEWS]