‘御子イエス、人類のための神様の栄光のプレゼント’
絵の説明 : レンブラント, <シメオンの賛美 (Simeon’s Song of Praise)>, 1631年
クリスマスを一番まっていたのは誰でしょうか。クリスマスを迎えよという特別任務を持って、命まで延長していたシメオンではなかったか。正確に言うと、彼は任務が終わるまでに死ねなかった。
それでだれもシメオンのようにクリスマスを切実に望めないでしょう。しかしこれはつまり‘神様の熱心’のためだった。神様はシメオンの心が貴方のこころのようになるために、特段の措置をとった。
なぜなら誰よりも神様がクリスマスを一番待っていたからである。このように神様の熱心を抱いたシメオンは、イエスの誕生が自分の死であるにもかかわらず賛美していた。また年老いた肉体を自由に動けなかったけど、最善を尽くして待っていた。
これもまた神様の御心が注がれたからこそ可能だった。そしてついに彼はメシアの誕生、つまりイスラエルの慰めであり、異邦を照らす光をみるようになった。
クリスマスの喜びを共感した、もう一人の人がいた。オランダの大画家、レンブラントだった。彼は‘シメオンの賛美’だけで合わせて3点の作品を描くほどに熱心だった。
その上、死ぬ前の最後の作品もシメオンの賛美であったので、どのくらいこの主題を喜んでいたか想像できる。この作品はその中の二番目の物で、レンブラントの25歳の時に描いた物として知られている。
〈シメオンの賛美〉をみてみると、ひげが白い老人として描かれたシメオンがひざをまずいて、御子イエスをトロピーのように抱いている。これは死んでいく人類、救いが必要な魂にクリスマスが神様からの栄光のプレゼントだという意味を表している。
死を象徴する老人と生命を象徴する御子は、私たちに命を与えるために死んでくださったキリストの十字架を浮かばせてくれる。
それだけではなく、輝く御子の姿にイエス様を‘異邦を照らす光’だと賛美したシメオンの賛美をそのまま映した。以前のどんな画家もこのように御子イエスを‘光’として描けなかった。
レンブラントがどんなにシメオンの賛美に没頭していたかがわかる部分である。たぶんレンブラントにもシメオンのような救いに対しての熱望があったからであろう。そしてこの心はシメオンとレンブラントを通して私たちにも伝達された。それは神様の御心である。[GNPNEWS]
文. 李サンユン(美術評論家)