祈祷者として献身した李ミョンザさん
神様の恵みの愛によって、神様が再び来られる日に向けてかけていく李ミョンザさんに出会った。
–神様に出会う前の人生はどうでしたか。
私はとても信仰深い仏教のお家で生まれました。私のおばあさんとお父さんの墓が寺にあるくらい熱心な仏教家でした。私も勿論熱心に仏教信者として生きていました。こんな私が福音を受け入れるということは想像できないことでした。私は教会の近くには引越しもしなかったほどでした。
変わりに仏教信者として本当に情熱的に活動しました。一所懸命捧げていて、あっちこっちまわって一千回の捧げ物をしたりもしました。しかし満足感がなかったです。逆に私の人生はとても憂鬱で死にたいと思っていました。そんなある日、神様が奇跡的に私に訪れてくださいました。
–神様がどのように訪れましたか。
神様が私を本当に哀れんでくださったと思います。ある日夢を見ました。天国と地獄を見ましたが、地獄はとても怖かったです。その上、私が審判台に乗っていました。そして誰かがでかい釘を私の胸に刺そうとしました。
その時、ある方が現れて‘あの人は悔い改めた’といいました。そして自由になれました。しかし仏教では悔い改めという言葉を使わないです。教会の用語だとはわかっていました。あの方がイエスさまだと思いました。私はそのように神様に出会って、その時から教会に通い始めました。
‘悔い改め’という言葉でイエス様に会って
–そのように始めた教会生活はどうでしたか。
毎日涙が出ました。礼拝時間は勿論、道を歩く時にも我慢できないほど涙があふれました。そして私を救ってくださった神様の恵みに感激して、会う人たちに恵みを分かち合って伝道しました。福音に対してよくわからなかったけど、日曜日に聞いた説教の御言葉中、覚えて理解できる福音を伝えました。振返るとその時そんな勇気がどこから来たのか知りません。
–神様に会って熱心に伝道を始めましたか。
伝えなくては我慢できなかったです。道端だけではなく、家族とお友達、会うすべての人たちに私の証を伝えました。大部分仏教信者である家族とお友達に伝道するのは難しくなかったです。仏教に対してわかっていた私には伝道するのがとても楽しかったです。その上実も豊富でした。いまは私の家族とお友達みんなイエスを信じて救われました。
–伝道するとき、家族とかお友達の反応はどうでしたか。
勿論過程がたやすくはありませんでした。昨日までも一緒に寺に通っていた私が一日で教会に通うようになって、イエスを信じないといけないと言っているので、お友達も家族もみんな驚いていました。私が無条件に聖書を持って福音を伝えると、お友達はもうやめてほしいと拒否しました。それでも聞かないふりをして、福音を伝えました。時にはお友達の家に福音のメッセジも送ったりもしました。
仏教信者だったお友達がしばらくして、クリスチャンへと変わりました。始めは強く拒んでいた友達さえ、一人二人自然と教会にくるようになりました。神様が助けてくださっているようでした。その後、寺に通っていたときにも熱心であった友達だったので、教会にも熱心でした。
仏教信者の友達までもクリスチャンへ
–家族たちに福音を伝えたことも聞かせてください。
実は家族の反対がとても強かったです。その中でも私の長男のお兄さんがとてもひどく私を苦しめました。どんな言葉も出せないほど怒っていました。私のお姉さんも同じでした。それでも仕方なかったです。私は自分に伝道した人たちにそれ以上にひどく怒っていたんです。私が犯したことを考えると、そのように反応するのがわかります。
それなので諦められませんでした。福音だけ伝えると怒るお姉さんに行って、無理やりに賛美歌を開いて‘お姉さん、一緒に賛美しましょう’といい、賛美を捧げました。そして祈りました。その時お姉さんはあきれて、またも怒りました。
–家族がみんな神様に出会ったといいましたが、いまはどうですか。
そんなに私を反対していたお兄さんはいま宣教師になりました。お姉さんは私の強いお祈りの仲間になりました。そして一番大事な信仰の仲間もいます。それは私のお母さんです。当時お母さんに福音を伝えると嫌がっていても全部聞いてくださっていました。お母さんはやはりお母さんです。
しかしある日、私の切実なお願いにイエス様を信じることに決めました。そして通っていた寺に行って、いままで乗せていた名前とか置物らを全部撤収してくれるよう頼んできました。私の娘もいまはイエス様を信じると約束をいただきました。本当に主に感謝です。
神様が私のような無能で弱い者を使ってくださって、私の家庭を救う通路にしてくださってとても感謝です。実は私の家族の中で私が一番衰えた子供でした。私は幼い時から弱い体で大部分横になって生活していました。薬がないと食事ができないほど、すべての肉体が弱かったです。
それで私はいつもお母さんの心配の元でした。また小さいときからアレルギがあって、すこしでも汚い環境では我慢できなかったです。そのせいか、性格は日に日に敏感になり、とても意地悪い子に成長しました。お兄さんが私を‘ガソリン’と呼ぶほど、短期でよく怒る子でした。
▶海外のアウトリーチの現場で仲間と共に
–そんな人がイエス様に会ってこんなに変わっていて家族がびっくりしたでしょうね。
私の悪い性格のせいで、お姉さんとの関係もよくなかったです。私もイエス様を信じてそんな自分の性格を直そうと努めて、お姉さんと仲良くしようと努力しました。しかし回復がむずかしかったです。しかし私が本当に十字架の福音に会ってから変わり始めました。福音の前に立ってみると、自分がどんなに罪人であるか、そしてどんなに家族を苦しめてきたか、気づきます。そしてお姉さんに深く謝りました。
私がもくもくと神様に従う道を歩むと、自然と関係が回復しました。この福音が私を変えて、私の家族を変えました。いまは一人だけが残っています。私の夫です。私は神様が私の夫をとても沢山愛していると思っています。なぜならば私を通して神様の全能なることを夫に沢山見せてくださいましたからです。
本当の変化に家族らが強い仲間へ
–どのように神様の能力を見せてくださいましたか。
私はリューマチスを患っていました。結婚して病気がもっとひどくなって、有名な病院を探しまわりました。しかし正確な病名はわからなかったです。痛いけど原因は知らないです。それであらゆる骨用の注射は全部うたれました。その苦痛は言葉では表現できないほどでした。夜に寝てトイレに行こうとすると、夫が私を抱っこして送ってくれるほど悪化していました。
そのころ神様の恵みによって会った一人の医者から、私が患っている病気がリューマチスだと聞きました。入院をして治療が始まりました。そして何日かたって、薬を二粒飲みました。しかし驚くことに、自由に病室を歩けるようになりました。医者も私もびっくりでした。医者も私のような患者は見た事がないと言っていました。
私は知っていました。神様が私を治療してくださっていたのを。このすべての過程を夫が全部そばで見ていました。夫も神様がなさったことだと知りました。表では認めないけど。それで夫はいま大変変わりました。始めは教会に対しての拒否感がひどかったです。しかしいまは本人が先に教会に行くといっています。
–旦那さんにはどんな事があったのか聞かせてください。
私の夫は本当に穏やかな人です。私の短気な性格を全部許してくれたんですから、それがその証拠ですね。穏やかな性格だけではなく、私に献身的な人です。しかし教会の話になると、人が変わりました。日曜日の朝ごとに教会のせいで衝突がありました。
しかしある日は大変な思いをしながらも一緒に教会に行きました。その日新しい信者のための祝福祈祷があって、そのことで大声で怒り、出ていったときもありました。それでも諦めませんでした。なので作戦をすこし変更しました。いまは強要しません。
お祈りの場を離れないアンナのように・・・
その後沢山のことを経て、最近日曜日の礼拝に行こうというとすぐ同行してくれます。その理由を聞くと、行きたいらしいです。それで先に行くと後についていくといって、私はすこし後に出発しました。しかし教会に行ってみると、本当に先に夫が席に座っていました。
他人には何もないことのようですが、私の感激の瞬間でした。神様が成し遂げてくださったことです。私には夢があります。夫が福音の前に立って神様の国がこの地に臨むまで、共に呼ばれた場でかけていくことです。始めた主が終わりまでこのことを成し遂げてくださると信じます。
–最後にお祈りの課題を言ってください。共に祈ります。
私の希望は、主が来られる日までアンナのようにお祈りの場を離れないことです。実はこれが私の希望の全部です。本当に私は無能です。それでも諦めません。仲介祈祷学校でずっと仕えてきていますが、もっとその日を待ち望むようになりました。
体がどんなに痛んでも、それでちゃんと何かができなくても、その場を離れないことにしました。お祈りの場は私の魂の箱舟です。それでその場で、再び来られる神様を迎えるように祈ってください。その日、その場で、すべての涙を洗ってくださる神様の胸に抱かれる日を待ち望んでいます。主はすぐ来られます。マラナタ! [GNPNEWS]
Y.K.