‘全ての働きの目的はこの世の回復’モ・ソンヨン伝道師
福音の驚くべき能力中一つは、昔の人の‘皮’を脱ぐことである。善であるかのような自分の姿によって、私たちは自分自身に無限に寛大である。しかし福音の前に立つと私たちはみずから‘私は罪びとである’と認めるようになる。またある。福音はクリスチャンが平凡に生きるのを捨てて、神様の国の非平凡に生かす能力でもある。こんな福音の能力を経験して信仰の道を本格的に歩み始めるモ・ソンヨン伝道師に会った。
- 幼い時はどう過ごしましか
‘お父さんの40歳に私は生れました。上に2名のお姉さんがいて、二人とも病気でなくなっていました。そしてお母さんは私が3歳のときになくなりました。宗教的にはお母さんの家が偶像崇拝をしていたそうです。’
- お父さんが大変可愛がっていたでしょう。
‘お父さんの愛は特別でした。どんな状況でも私を完全に信頼してくれました。しかしお父さんが再婚をして、新しいお母さんとお父さんの間で私は沢山の混沌と混乱を感じました。どうしてもお父さんのように新しいお母さんが私を信頼してくれているとは思えませんでした。それで多くの状況において決断ができないまま迷う時が多かったです。
私はいつも周辺から易しくて正直でよい子だと聞いていて、自分もそうだと思いました。学校の生活記録にも主にそんな言葉が書いてありました。そして決定的に私が中学校に通う時、お家の経済状況がとても大変になって学校を休まないといけない時がありました。その時どんな背景だったのかは分かりませんが、お父さんが‘貴方は他人に迷惑をかけないで生きなさい’と言われました。その言葉が私の人生の座右の銘になりました。‘
- そのモットーが人生にどんな影響を及びましたか
‘易しいという自我認識を持っている私は他人に迷惑をかけないために自ら損害を受ける人生を選ぶようになりました。たとえば小さくは隣人との関係で私の子供が怪我すると治療費を貰わないで、他人の子供が怪我をすると治療費を全部支払うことです。またマンションを購入する時も同じように費用が多くかかる領域でもお互いに論乱が起こらないために、私が損をするようみずから決めていました。’
- そんな迷惑をかけない人生の方式がたやすいことではなかったと思いますが・・・
‘段々疲れて生きました。私が損をする’善なる事‘がよかったんですが、そのことがうれしくなるのではなく、段々喜びも希望もなくなっていきました。ある時には人に裏切りを感じたり、バカになったような気もしました。人ごとで言うと私の魂が底ない穴へと堕ちていくようなきがしました。’
善人として自分を飾っていた生活で疲れきっていた人生
- 信仰生活はどのようにして始めるようになりましたか。 ‘結婚をいた後、ある教会の役人の伝道で教会にすこし通い出しました。しかし実家の反対と迫害があった時、これに勝つ自信がなくて教会をやめました。しかし何年か後、韓国の経済破局が起こったころに心にある強力な力が働いて昇天祈祷会に通い始めました。その時’私は罪人である‘という事実に気付いて、恵みを望んで熱心に信仰生活をしました。’
- 信仰生活を始めてから変化がありましたか
‘信仰生活をしながら恵みをいただいて喜びもありました。しかし一方では世へと惹かれる矛盾的な事が起こりました。そして結局世の友達と仲良くなり、罪の道へと陥りました。それでまもなくして間違いに気付いて、すぐ指一本上げられないほど無気力の状態にいたりました。ただ死にたい自我に対しての誤解でした。私がどんなに罪をおかしたがる’存在的な罪人‘であるかを知らなかったです。’
- この事件が福音を完全に分かるきっかけになりましたか
‘まず神学校へ行くようになりました。大変な状況の中で祈祷院へ行って祈りをしていた時、神様が詩編12編の’貧しい物がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう‘というみ言葉で私を絶たせてくださいました。その時にはその’安全な所‘が神学校だとおもっていましたが、それが’十字架の場所‘だったんですね。’
- どんなきっかけいに十字架の福音の前に立つようになりましたか
‘伝道師として教会に仕える過程中で私を苦しめたと思われる人を許せなかったです。怒りが上がってきて苦しみました。どんなに祈っても断食をしても解決できませんでした。そして結局私の力では解決できないとの結論に達しました。そして神様は’私が知っている神様、私が知っている福音は一体何であるのか‘という質問の前に私を立たせて、その後十字架の福音を全身で向き合うことができるように導いてくださいました。’
- 十字架の福音にぶつかってどんな気持ちになりましたか
‘十字架の福音の前に立って一番衝撃だったのは、私が神様に全部をささげたと思ったのに、それは本当の献身ではなかったです。ただ私の熱心と最善で生きてきただけでした。また私が王になった人生はそのままサタンのしもべの人生だってことに気付きました。’
十字架を経験して総体的な変化
- 十字架の福音以来、信仰の人生を生きながら葛藤を経験したりもしたと思いますが。。
‘十字架の福音を理解したと思っていましたが、全然そうではなかったです。十字架の道を行くことが何か分からなかったですね。一番大変だったのはお祈りでした。福音を受けた以来、まずその国と義を求めるお祈りがそんなに難しいことだとは知らなかったです。宣教団体で行われている訓練学校へ参加して、世のために求めるお祈りをしましたが、私の内面に実在になるまでは大変な長い時間がかかりました。’
- そんな部分に対しての信仰のまた違う突破口が起こったならば紹介してください
‘私が最近巡回宣教団のアフリカ支部と共に南アフリカ共和国の韓国人宣教師たちといろんな現場に仕える目的で、宣教資源銀行である宣教団体のヨセップの倉庫ミニストリを通して短期で送られました。
この仕事を準備しながら約束のみ言葉でもらったホセア10章‘あなたがたの新田を耕せ’というみ言葉が実在になる恵みがありました。まずは財政の領域でビザ問題と空港費用と滞在費用で数千万ワンの財政が驚くほど満たされることを経験しながら、‘神様の国が豊かなのに私は本当に孤児と未亡人のようにみじめに生きていたんだよな!’と感嘆しました。
そして対人関係で他人に迷惑をかけないとの‘自分の義’に縛られて生きていた以前の人を腐敗した根性がどんなに根ぶとく私を苦しめているのかも確実に気付く時間でした。しかしそんな存在を神様がイェス様の義の衣を着せてくださって、完全なる生命として回復してくださった事を喜ぶ時間でもありました。‘
- 特別にお祈りの領域で大変な思いをしましたが、すこしもっと具体的に説明をお願いしてもいいですか
‘事実十字架の福音は私の完全なる存在の変化を要求したことでした。福音で完全に回復された存在が生きる方法はお祈りしかなかったです。なぜならば福音として回復された存在は神様の国が実在であり、その国を求めるはずです。しかし私は今度の南アフリカに行ってきて、自然と私が宣教的な人生を生きる完全な天の呼びかけをうける存在であると知りました。やっと本当の祈りがささげられる仲介的な人生を生きられる経験をしました。’
- 南アフリカへのアウトリーチが信仰の突破をするようになった重要なきっかけになったんですね
‘海外へのアウトリーチに行ってきて自分の人生を客観的に見つめる恵みもありました。家庭は神様の国が立てられる事で重要だと沢山聞きました。しかしそれが実際にできませんでした。今度の南アフリカに行ってきて自然と私の家庭の財政がこの世へと流れてない事に気付きました。そして私の家庭に神様の統治が実際になってないことに自然と思わされました。
しかし私を送ってくださったJSMIN団体で、私一人の家庭だけではなくこの地の全ての家庭が福音へと完全に回復するためのキリストの軍隊として立つ事を進めてくださいました。茫然として事ですが、福音が一番実在になる場が家庭であり、家庭が回復すればこの世が回復されると信じました。そして私がどんな姿の従順であっても、神様の前に捧げようと決断しました。‘
アウトリーチで神様の統治経験
– 自分の実体を発見することは結局信仰の決断に達する事ですね
‘私の家庭に仕えるのも背いっぱいなのに、他の家庭に仕えるのはとても大変なことであって、やる勇気が出ませんでした。しかし南アフリカで一人で祈る時、イェス様が全ての異邦人たちの救いまで成し遂げてくださり、十字架で死んでくださった事実を深く思う時間がありました。家庭の領域でも同一に神様がすでに成し遂げてくださった事へと呼んでくださって従われるような恵みをくださるしかないと思いました。神様の側でなさるという信仰を持って参加できます。何も見えないけど神様がすでになさっているのを信じます。’
– お祈りの課題がありますか
‘私の意思、考え、感情などの全てに対して死んで神様によって生きる者だけが神様の約束をいただけることに気付きました。結局いままで神様の主権を認めてなかったです。それで約束のみ言葉を沢山いただいても喜べなかったです。多くの祈りの課題がありますが、神様の約束を喜ぶ者として立つことを願います。なので他より毎日神様の顔と恵みを求める者として神様が訪れる日までそのように生きるようになりたいです。’
[GNPNEWS]