19世紀のフランスの文豪ヴィクトル•ユーゴーの原作小説を1985年ミュージカルで製作した作品がスクリーンに映った。
1本のパンを盗んだことで19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンに、世界は相変わらず差別と冷遇に厳しいばかり。お世話になった司教の銀器を盗んで逃げたものの、再び捕まえて来たジャン・バルジャンに司教は銀の燭台まで渡しながら殉教者の証人とされた生活とキリストの血潮の意味を伝える。
1本のパンを盗んだことで19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャン。
その愛によって自身の力では決して勝てなかった憎しみの戦いを終えたジャン・バルジャンは新しい人生を生きると決心する。身分を隠して市長になった彼は、市民たちを助ける役割をしていたが、自分と見間違えて捕まえた人のために、全てを捨てて自首する。しかし、街の女性パンティンが死の直前に自分の娘コゼットの世話を頼まれたので、コゼットの世話をするために再び逃げるジャン・バルジャン。修道院に身を隠して住みながら、コゼットを立派な女性として育てる。
コゼットと学生の革命家マリウスはお互い一目惚れをして愛を交わす。しかし、革命当日、政府軍の激しい攻撃と市民たちが一緒に攻撃に協力しなかったことにより、若い革命家たちは皆死んで、負傷したマリウスだけジャン・バルジャンの助けで命が助かる。一方、数年間ジャン・バルジャンを追っていた警官ジャベールは革命軍の所に潜入し捕まえられたが、ジャン・バルジャンの助けで釈放される。
人は変わらないという信念でひたすら正義に執着していたジャベールは、ジャン・バルジャンが施した恵みに衝撃を受けて、自ら命を絶つ。マリウスとコゼットの結婚式の日、一人孤独に死を迎えているジャン・バルジャンは自身の告白を込めた手紙をコゼットに残して死ぬ。隣人を愛する人だけが主の御顔を見ることができる最後の歌と共に。
資格のない自分に無償の愛を誠に悟った人は変化せざるを得なかった。それは一時的で部分的の変化ではなく、全てが変わる、まるで革命のようだった。世の中に向けた憎しみと復讐で燃え上がったジャン・バルジャンは、一生他人のために惜しまなく自分を捧げた人生を生きることが出来た力は、キリストの愛と、それを見せてくれた一人の証人だった。
希望なしで一日一日を生きてきた貧しい市民たち、片思いしているマリウスの代わりに銃に撃たれ死んだエポニーヌ、いつか誰かが再び自分たちの席を満たしてくれることを信じて最後まで勇敢に血を流した若い革命家たち、映画の最後を飾った彼らは、皆巨大なバリケードの上に立って、その向こう側にある永遠で新しい楽園を眺める。
そしてその日は必ず来ると、強い信念を共に歌う。体は釈放されても一生を罪囚番号24601で生きるしかない呪われた自分の身分証をずたずた引き裂き、真理の中で完全な自由人で生きるようにした神様の恵み。その恵みを享受する道は、日々恵みを預かられた者として正しく生きることだ。
毎瞬間、すべてのものに感謝して、隣人を愛して、自分を捧げることを惜しまないこと。
キリストが私たちにそのようにしてくださったことのように。私も毎日夢を見る。映画のエンディングのシーンのように、各国と種族と民と方言で誰も数えられない大勢の群れいが出て、御座におられる方と子羊の御心に叶う礼拝を捧げるその日を見ること。必ずその時が来ることを待ち望みながら、今日わたしができることは、ただ恵みの中で神様と隣人をより一層愛して仕える十字架の座だ。
(ドラマ|イギリス|トム・フーパー|158分|12歳 観覧可|2012)
イ・キヨン宣教師