緑色の葉っぱが茂っている道端をみて、美しいとだけ考えた。
しかし実は渇いた葉っぱだけがあり、その渇きはつまりウガンダの姿だった。神様を知っているとは言うが、信じない、切に望まないウガンダ。水がまを負って遠い道をいかないといけない、やっと渇きだけを解決できる。
しかし魂の渇きは、到底知らないこの地に向けてのお父さんの熱望、急ぎとして神様だけを求めるその日。 ネヘミヤ52祈祷が始まって。。。 一滴、二滴落ちる雨水は祈る一週間ずっとこの地を濡らした。
まるでこの地に向けての諦めないお父さんのみ心をみせてくださるようだった。‘見よ!’と決めたように、そのみ心を注いでくださる神様は本当に渇いた道に川を流れさせている。止まらない主の情熱は今日も変わりがない。
“見よ、私は新しい事をなす。やがてそれは起る。。。荒野に水をいだし、砂漠に川を流れさせて、私の選んだ民に飲ませるからだ。” (イザヤ 43:19-20)
写真提供 : WMM 東北IPS ウガンダチーム 李ヨンシル姉妹