“私たちが選べること、それはただ‘福音’です”

Date

2013年12月16日

▶“私は大丈夫です’という韓国語が本当に好きです”と告白する平島牧師

本誌は前に続いて二回にかけて日本探訪報告書を掲載した。日本の特別企画の最後編である今回は日本のクリスチャンがみる日本の教会、日本のクリスチャンの人生を紹介する。<編集者>

福音が伝わった一世紀が超えて、人口対比クリスチャンの比率が1%を超えない国。勿論全世界にはこのような国は多い。

しかし自由民主主義の体制下で宗教の自由が保障される国で、このように福音に対して反応してない国は見つけにくい。つまり日本のことである。

自国内クリスチャンの比率が2%を超えない民族を未伝道種族と呼んでいる前提によると、日本は巨大な未伝道種族である。

2010年現在日本人口は1億2600万人。しかしクリスチャンは100万人程度である。

日本国民がこのように福音を受け入れられない特別な理由はあるのか。こんな状況で信仰の道を歩んでいるクリスチャンたちはどんな人生を送っているのだろうか。

3代目のクリスチャンとして日本東北地方仙台市近隣の塩釜市で、牧師をしている平島先生に会って、日本のクリスチャンに対しての彼の思いを聞いた。

福音伝道だけが唯一な対案

 ‘15年前ここに来て、開拓教会を始めて、多様な方法で福音を伝えました。しかし住民たちがその福音を受け入れなかったです。’平島牧師の話である。

人口5万6000人の港町である塩釜市。日本全域で活魚まぐろの料理店が、一番多い年として知られているここの人たちは比較的豊かな生活をしている。

 ‘大体の人たちが自分の人生に対して満足しています。現在の人生から変わりたいという気持ちがないようです。’

信仰で生きるとは、人生の全ての変化を現す。現在の状態がよいのに、わざと変える必要を感じないとの事である。

平島牧師は福音に対して、地域住民たちの無関心な反応が切なかった。お腹いっぱいの者が、食べ物の前で何の反応を見せないように、そのように自ら豊かだと感じている人たちだと思っていた。

そんな日本に性急で、渇きの状況が全然予想してなかったのに、現れた。2011年巨大な自然の力を新たに経験する東日本大地震、そして津波。目に見える必要と急ぎの状況が開かれた。

この切迫した状況が始まって3年が過ぎている。その事件をきっかけに日本人たちの態度は違ってきているのか。平島牧師の言葉である。

 ‘神様が驚くべき事をしていると信じます。しかし目に見るには、現在災難地域の人たちが福音によく反応しているのか、はっきり分別しにくいです。’なぜだろうか。彼はこの状況に対してこのように説明する。

罹災民たちが長い間、自分たちを助けている教会に対して感謝の気持ちはあります。それでも自分が望んでない福音を教会が伝えると、彼らが気まずくなるのではないか。教会が憂慮しています。そんな考えでは教会が福音を正しく提示してないです。

また罹災民たちもいますぐ経済的な助けを必要とするだけで、福音には関心を持つ理由がないです。‘

彼はそれにもかかわらず、真理の側に立つことが必要だと言っている。

 ‘私たちの教会も救済と福音伝道の間で、葛藤をする場合があります。しかしどうしても福音を伝えないといけないです。その以外には方法がないです。’

神様の方法で聖徒増える

始めて教会を開拓する当時、平島牧師の教会には生徒がいなかった。空っぽの礼拝党で椅子だけをみて説教をしていた。‘開拓して始めの1年間、椅子だけを見て御言葉を語りました。

毎週伝道紙を持って村を回りながら伝道しました。何の反応もなかったが、他に選択がなかったです。‘現在出席聖徒は15名程度。

そのように福音を分かち合って、伝道をしながらいま日本に精神的に問題を持っている人が多い事に実感しました。しかし彼らにそんな問題を分かち合える人がいないです。

自分の本音を現すのを恐れる気質と、他人に迷惑をかけないよう努める事は、つまり調和、和合などを意味する、‘和文化’という日本の特別な社会慣習のためである。

御言葉を信じ、従順の道を歩む時、神様の方法で魂らは教会の門をたたく

他人に迷惑をかけない態度が、どんな結果をもたらしたのか聞いたエピソードの話し。

日本のサラリーマンたちはお昼の時間になっても、会社の同慮に食事に一緒に行こうと軽く言えないらしい。自分の要請に拒否できない負担感のために、同慮が他の重要な約束とか業務を諦める事をきにかけているからである。

それでお昼の時間になると、ひとりで静かに出て食事して帰って来る場合が多いらしい。個人主義よりは他人を配慮して、迷惑をかけないようにしようとする態度からの文化である。

実際昼の時間に公園のベンチにいってみると、サラリーマンたちが一人で弁当を食べている姿をよく見かけることができる。

伝道が難しいのもこのような文化から来る。静かに道を歩いたり、公園に座っていたりするのに、伝道することは日本社会で迷惑をかけると思われる。

平島牧師は一方、日本人たちが自然に教会を訪れるよう、イベントを開いた。音楽会、講演会など多様なイベントを開いた。

 ‘ここの悩みがある人は、真理に反応をするはずです。しかし誰がそんな問題を抱いているのか分からないので、私たちは人たちを教会へ招いたのです。教会に訪れた人たちに公式日程を終えて、自然と福音を分かち合うのです。’

そのように従順する彼に一つの聖書の言葉が、慰めの言葉として与えられた。ルカの福音書1章20節のみ言葉である。‘時が来れば成就する’つまり、そのみ言葉を信じて従順の道を歩む時、いつかは神様の時がくると、その人たちが神様を信じるようになると受け入れた。

そんな中、ある日神様の方法で一人一人の魂が教会の門をたたいた。神様が送ってくださったに違いなかった。

 ‘私たちが伝道して聖徒が来たと言えないくらい、徹底して神様の方法で彼らが教会に訪れました。その過程で大変なことはありましたが、失望しませんでした。日本の多くの牧師たちがこのように信仰の道を歩んでいます。’

韓国の地で開拓教会の牧師らが持つあらゆる苦しみと同じく、日本の牧師らは社会的にもっと冷たくて、大変な苦難の中でも信仰において勝利している。

罪のためです’… 変わった存在信じて

このように信仰の道を歩んでいる平島牧師は、どのようにイェス様を迎えて牧師の道へと進んだのか。知りたかった。

‘私は日本でめずらしく3代目のクリスチャン家庭で育てられました。救世軍の士官だったお父さんは教会で長老として教会学校で仕えていました。教会学校でお父さんの説教を聞きながら、信仰の家庭で成長しましたが、青少年期に教会から離れました。’

そのように幼年期徹底した親の信仰観で養育されたが、その信仰の遺産が彼にそのまま受け継いでなかった。

 ‘私は親の信仰生活を、私がそのまま続かないといけないとはおもってなかったです。福音は本当に私に何の意味のないと思っていました。そのように青少年期を送って、大学生になった以来、20歳になって質問ができました。

もう成人なのに、私の人生に対して私がどのように責任をおって、どのように生きるのか。少なくとも30歳になる前にどんな人生を生きるかを決めよう。‘

神様はその告白のままに導いてくださった。彼は大学生の時、身体障害者を助けるボランティア活動に参加した。その中、ある時は自分が献身的であるのに、ある時はそうでない自分の姿に気付いた。

 ‘私はなぜこうなのか。こんな私が他人を助けられるか。こんな偽善者のような私がどのように他人を助けようか。’という自己嫌悪感に落ちて悩んでいる彼に、キリスト教の放送を聞いてイェスを信じるようになった大学の後輩が、教会出席を進めてくれた。

 ‘教会に行ってみると多くの人たちが近づいて歓迎してくれました。またある時は会ったこともない人たちが私のために祈ってくれたという話を聞いて、とてもうれしかったです。そして神様に対してもっと知りたくなりました。’

信仰生活を始めて、彼は自分の存在に対してはっきりと気付いた。親切な自分、自己中心的な自分。その全ての問題の原因が、つまり‘罪’のためだったと言う事実。しかしその‘罪’の問題は自分が解決できないことも知った。

しかし自分が罪人であることを知った瞬間、教会に行くのが怖くなった。こんな罪深い存在が清い教会に行ってもいいのか。こんな考えが浮かんだ。

 ‘神様はまたも一つの真理を悟らせてくださいました。そんな罪人である私のために、イェス様が十字架にかけられて死んでくださり、私に永遠の命をくださったことです。’

その一連の過程を通して、‘イェス様を信じて変わりたい’という心を持っていたある日、自分はすでに変わった存在という事実が信じられた。その後、自然と神学を学び、いまは失われた神様の羊を帰らせる場に立つようになった。

‘謝罪と和解’の通路になることを望んで

会話はついに‘日本教会’へと移った。日本教会の復興を望むならば、日本教会に必要なことは何だろうか。通訳していた紀子夫人はまず語った。

日韓親善宣教協力会の宣教師として韓国へ行ったお父さんについていって、青少年期を送る間、韓国語を習った彼女は上手な韓国語以上に韓国に対しての多くの理解心を持っていた。

 ‘私は悔い改めだと思います。日本の教会は過去に周辺国らを苦しめた経験があります。韓国に対しても許しを求めて悔い改めないといけないです。’

紀子夫人のお父さんは現在韓国で、ソウル日本人教会を31年目仕えている吉田先生である。韓国で教会を回り、日本の過去に対して許しを求めて、韓日間の和解を望む従順の人生を送っている。

その言葉に同意したように、うなずいていた平島牧師も加えて言った。

 ‘日本人はとても深く考えていますが、それが難しくしている時もあります。何をしてもとても長く計画して、実行に移します。神様のみ心と私の意思とは違う時もあります。しかし自分の計画のままにならないと大変不安感をいだきます。その時、すべての主権が神様にあることを依頼するそんな信仰が必要だと思います。私は韓国の言葉中、’ゲンチャンアヨ(大丈夫です)‘という言葉が大好きです。もしかしたら神様に全ての状況を委ねますとの意味を持っているのではないかと思います。’

韓国語をすこし読める平島牧師は、そんな余裕ある態度が日本人にあったらいいなと言った。お祈りの課題を聞いたら、平島牧師は以外の内容を語った。

 ‘義理のお父さんである吉田先生が、いままで韓国の地で働いて今年で31年目になります。先生は、’謝罪と和解‘との呼びかけで従順してきました。親が仕えているその働きに従うべきか、20年間祈って来ました。

そして最近一つ決めました。来年初に韓国へ行って、その‘謝罪と和解’の働きに従順する予定です。このことのために祈ってください。‘

神様は平島牧師との出会いを通して、神様の国がどんなに豊かであり、キリストの中で、神様と連合することだけが本当の連合であると再び気付かせてくれた。[GNPNEWS]

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