▶ 約3000箇所あると知らせているとある仮説住宅の老人ホームにある黒板には“私たちが生きている今日は災害で亡くなった方々が生きたかったその今日である”という文句が書かれてある。
3000箇所余りの臨時住宅に使役者‘不足’、共に働く手助けを待っている。
史上最悪の津波と核発展所崩壊の後、少しずつ回復に向かっている日本東北地域では最近福音を受け入れる日本人たちが急増していることが分かった。
これに伴い一時期宣教師の墓という別称で知られてある宣教の死角地帯であるこの地域が福音に武装した使役者たちを待っていると現場にいる宣教師たちは明らかにした。
日本東北地域宮城県で教会使役をしている安・ジュンシク宣教師は“昔は7000枚の伝道のチラシを配ると一人くらい反応をしたが、最近は10人中7~8人が反応を見せる”と“この地に驚くべきリバイバルの機会を与えてくださっていることとして感じている”と話した。
またアメリカ、シアトルで韓国人牧師として働き2002年に引退、10年目巡回伝道者としてすべての国の人々を仕え、昨年と今年日本災難復旧現場に同参した松・チョンホ牧師も“日本人たちも入ることをはばかる福島原発付近を韓国人宣教師と韓国人信徒たちでマスクをして条件なしに仕える姿を見た日本人たちが心を開くようになった理由の一つである”とこのような日本の状況を診断した。
現地のお知らせによると、一昨年津波で東北地域の海岸地域が焦土化した後、被災者救護施設はおよそ3000箇所余り至る。ここには様々な領域の手助けが必要としている。しかし、ここで彼らを助ける使役者は不足している。
今年6ヶ月の日程で災難地域に短期宣教師で働いて帰って来たムン・チャンソン伝道氏は“じゃがいもをもらったので被災者たちに分けようとしても配布する人々が足りなく、包装紙に入れているといつの間にかじゃがいもに芽が出てしまい、配布することができない状況を経験しました”と切ない思いを話した。
音楽を専攻、ピアノ公演で音楽会をしながら福音を伝えているムン伝道師は“時々深い孤独と生活苦で自殺者が絶えない話を聞くと切なかった”と“昨年の短期宣教経験を土台に2013年初めに再び日本宣教師に行く予定”だと話をした。